神の前におのれを正しとするによりて[#「ヨブ神の前におのれを正しとするによりて」に傍点]、彼はヨブに向かいて怒りを発せり[#「彼はヨブに向かいて怒りを発せり」に傍点]。」――真に悲しめる者は至って少ない。悲しんでると言われる者は多いけれど、ほんとうに悲しみに沈んでる者はあまりない。がオリヴィエはそのまれな一人だった。ある人間|嫌《ぎら》いの男が言ったように、「彼は虐待されるのを喜んでるがようである。こういう不幸な人間の役を演じたとてなんの利益もない。人から忌みきらわれるばかりである。」
 オリヴィエは自分の感じてることを、だれにも、もっとも親密な人々にさえ、話すことができなかった。それをうるさく思われることに気づいていた。親愛なるクリストフでさえも、そういう執拗《しつよう》なうるさい苦悶《くもん》には我慢しかねた。彼はそれを治癒《ちゆ》してやるには自分があまり拙劣だと知っていた。実を言えば、彼は寛大な心をもっており、またみずから苦しい試練に鍛えられてきたのではあるが、友の苦しみをほんとうに感ずることはできなかった。人間の性質はそれほど偏頗《へんぱ》なものである。善良で、情け深くて、怜悧《れいり》であって、多くの死を悲しんできていながら、友の歯痛の苦しみをも感じられないことがある。もしその病苦が長引くおりには、病人は大袈裟《おおげさ》な苦情を言うものだと考えたがる。ことにその病苦が魂の底に潜んでいて眼に見えない場合には、なおさらのことである。その病苦の原因でない者は、自分にほとんど関係のない一つの感情のために、相手の男がそんなにも苦しんでるのを、煩わしいことだと考える。そしてついには、自分の良心を安めるためにみずから言う。
「自分に何ができよう? あらゆる理屈もなんの役にもたたない。」
 あらゆる理屈も……というのはほんとうである。人が善をなし得るのは、苦しんでる人を愛し、その人をやたらに愛し、その人を説服しようとはせず、その人を回復さしてやろうとはせず、ただ愛し憐《あわ》れむことによってのみである。愛のみが愛の痛手にたいする唯一の慰安である。しかし愛というものは、もっともよく愛する人たちのうちにおいても無尽蔵ではない。彼らはある限られた分量の愛をしかもってはいない。見出し得る限りのやさしい言葉を一度言いもしくは書いてしまったときには、自分の義務を果たしてしまったとみ
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