勝手に主題が表現する、あの因襲的な初歩の手法を用いて、家庭生活を映画的な画幅中に物質化することは、彼の好まないところだった。それは対位法主義の偉い作曲家がやる博識幼稚な遊戯のように思えるのだった……。彼は人物をも行為をも描写しようとは求めなかった。各人からよく知られていて、各人が自分の魂の反響をそこに見出し得るような、種々の情緒をこそ、彼は言い現わしたかった。第一の曲は、恋し合った若い夫妻の落ち着いた淳朴《じゅんぼく》な幸福を、そのやさしい愛欲や、その未来にたいする信頼などを、表現したものだった。第二の曲は、子供の死に関する悲歌《エレジー》だった。けれど彼は、苦悩の表現における写実的な努力を、嫌悪《けんお》して避けていた。個性的な面影はなくなっていた。そこにあるものはただ、大なる悲惨――万人がになっておりもしくはになうかもしれない一つの不幸に面した、汝の、われの、あらゆる人の、悲惨であった。そういう悲嘆に圧倒された魂は、痛ましい努力をもってしだいに起《た》ち上がって、自分の苦しみを供物《くもつ》として神へささげていた。第二の曲に引きつづいて第三の曲では、その魂がふたたび勇ましく自分の道を進んでいた。この曲は自由気ままなフーガで成っていて、その大胆な構想と執拗《しつよう》な律動《リズム》とは、ついに主人公の一身をつかみ取って、奮闘と涙との中で、不撓《ふとう》不屈な信仰に満ちてる力強い行進へ導いていた。最後の曲は、人生の夕《ゆうべ》を描いたものだった。最初の主題がそこにふたたび現われて、その感動すべき信頼と老いることなき情愛とをまだもってはいたが、しかしいっそう成熟しやや傷ついたものとなっていて、苦悩の影から浮かび出で、光明をいただき、あたかも豊かな花園のように、無限の生にたいする敬虔《けいけん》なる愛の賛歌の声を、天のほうへ高めていた。
 クリストフはまた、昔の書物の中に、万人の心に話しかくる、単純にして人間的な大なる主題を捜した。彼はそのうちの二つ、ヨセフ[#「ヨセフ」に傍点]とニオベ[#「ニオベ」に傍点]とを選んだ。しかし彼はそこで、詩と音楽との結合という危険な問題にぶつかった。彼はフランソアーズと話し合ってから、昔コリーヌとともに立案した計画へふたたびもどっていった。それは歌う歌劇《オペラ》と語る演劇《ドラマ》との中間を占むる音楽的戯曲の一形式――自由な言葉と自
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