よって喚《わめ》きたてられている。
クリストフはそういう芸術を多少恥ずかしく思った。彼自身もそれに感染してる気がした。そして、彼は過去に引き返そうとしないで――(引き返すのは馬鹿げた不自然な願いである)――自己の思想については尊大な慎みを事とし、大なる多衆的芸術にたいする観念を有していた、過去のある大家らの魂のうちに、浸り込んでいった。彼はヘンデルを読み返してみた。ヘンデルはおのが民族の涙っぽい敬虔主義《ピエティスム》を軽蔑《けいべつ》して、民衆のための民衆の歌たる、巨大なる聖歌《アンセム》と叙事詩的な聖譚曲《オラトリオ》とを書いたのであった。しかし現代においては、ヘンデルの時代における聖書《バイブル》のように、ヨーロッパの各民衆のうちに共通な情操を喚起せしめ得るごとき、霊感的主題を見出すことが、至って困難であった。現代のヨーロッパは、もはや一つの共通な書物をもっていなかった。万人のためになるべき、一つの詩も一つの祈祷《きとう》文も一つの信仰録もなかった。それこそ、現代のあらゆる著作家や芸術家や思想家にとっては、堪えがたい恥辱となるべき事柄だった。一人として、万人のために書き万人のために思索する者がいなかった。ただ一人ベートーヴェンのみが、慰藉《いしゃ》的な新しい福音書の数ページを残していた。しかしそれを読み得る者は音楽家のみであった。大多数の人は理解できなかったであろう。またワグナーも、すべての人を結合せしむべき宗教的芸術を、バイロイトの丘の上に築き上げんと試みた。しかし彼の偉大なる魂は、当時の頽廃《たいはい》的な音楽および思想のあらゆる欠点を帯びすぎていた。その神聖なる丘の上に来た者は、ガリラヤの漁夫たちではなくて、パリサイの徒であった。
クリストフは、いかなるものを作るべきかをよく感じてはいたが、しかし詩人がいなかった。自分一人でやっていって、音楽だけにとどまらなければならなかった。そして音楽というものは、なんと言っても、普遍的な言葉ではない。万人の心に音響の矢を射込むためには、言語の弓が必要である。
クリストフは、日常生活から鼓吹された一連の交響曲《シンフォニー》を書こうと企てた。ことに自己一流の家庭交響曲[#「家庭交響曲」に傍点]を脳裡《のうり》に浮かべた。それはリヒアルト・シュトラウスのそれとは異なったものであった。種々の人物を、作者の意図に従って
前へ
次へ
全170ページ中93ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング