の愛情などはもつことができないのだったが、しかし苦しんでる者を見ると、それが一日の知人であろうと未知の人であろうと、かならずその人にたいして母親めいた心持を起こすのだった。もっとも厭な世話をも辞さなかった。もっとも多くの献身的な行ないを求める人々にたいしては、不思議な喜びの情をさえも覚えた。彼女は自分でもそれがどうしてだかよく知らなかった。おそらくは、おぼろな隠れた理想的な力の用途を、そこに見出してたのであろう。彼女の魂は生活の他の場合には萎縮《いしゅく》しきっていたが、そういうまれなおりにだけは大きく呼吸していた。他人の苦しみを少し和らげてやると、彼女はある安楽を感じた、そのときの彼女の喜びは、ほとんど不相応なものであった。――利己的であるその女の温情は、そしてまた、元来親切であるジャックリーヌの利己心は、共に美徳でも悪徳でもなかった。それが二人にとっては摂生法だったのである。ただ女工のほうがいっそう健康であった。
ジャックリーヌは苦悩のことを考えるとまいってしまった。肉体上の苦しみよりは死のほうが好ましいほどだった。美貌《びぼう》や青春など、自分の喜びの源の一つを失うくらいなら、むしろ死ぬほうが望ましいほどだった。所有すべき権利があると思ってるすべての幸福を所有しないこと――(彼女は幸福を信じていて、幸福は彼女においては、全的な荒唐|無稽《むけい》な信仰であり、宗教的な信仰であった)――他人が自分よりも多くの幸福を所有するということ、それは彼女にはもっとも恐ろしい不正のように思われた。幸福は彼女にとってただに信仰であるばかりでなく、また美徳ででもあった。不幸であることは一つの疾病《しっぺい》とさえ思われた。彼女の全生活はしだいにそういう原則に従って方向を定めてきた。生娘の彼女が怖々《おずおず》した貞節さで身にまとっていた理想主義の覆面から、彼女の真の性質がのぞき出してきた。過去の理想主義にたいする反動によって彼女は、きっぱりした生々《なまなま》しい眼つきで万事をながめた。するとあらゆる事柄はもはや、世人の意見と生活の便宜《べんぎ》とに一致する点においてしか価値をもたなかった。そうなると彼女は、母と同じ精神状態に陥った。彼女は教会へも行き、無関心な几帳面《きちょうめん》さで宗教上の務めを行なった。それがほんとうに真実なものであるかどうかは気にしなかった。彼女には
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