ネんかよしてくれ!」とクリストフは言った。「西欧だってまだ終局には達していない。君はこの僕が諦《あきら》めをつけるとでも思ってるのか。まだ未来幾世紀もある。生活は万歳なるかなだ。喜びは万歳なるかなだ。運命との戦いは万歳なるかなだ。われわれの心を脹《ふく》れ上がらしむる、愛は万歳なるかなだ。われわれの信念を温めてくれる友情は――愛よりもなお楽しき友情は、万歳なるかなだ。昼は万歳なるかなだ。夜は万歳なるかなだ。太陽に光栄あれ! 神を讃《ほ》め称《たた》えんかな、夢想と実行との神を、音楽を創《つく》れる神を! ホザナ!……」
そこで彼はテーブルについて、今まで何を言ったかはもう考えないで、頭に浮かんでくることを書きとめた。
クリストフはそのとき、彼のすべての生の力が完全に平衡してる状態にあった。あれやこれやの音楽形式の価値に関する美学的論議にも、または新しいものを創造せんとの合理的探究にも、煩わされることがなかった。音楽に移すべき題目を見出すために骨折る必要さえなかった。彼にとってはすべてのものがいいのだった。音楽はひとりでに滔々《とうとう》と流れ出してきて、いかなる感情を表現してるのか彼自身でも知らなかった。彼はただ幸福であるばかりだった。自分を発露することが幸福であり、自分のうちに普遍的な生命の脈搏《みゃくはく》を感ずるのが幸福であった。
そういう喜びと豊満とは、彼の周囲の人々へも伝わっていった。
四方ふさがってる庭園付きのその建物は、彼にはあまりに小さすぎた。大きな径《みち》と百年以上もの古木とのある静寂な隣の修道院の広庭を、初めは見おろすことができていたけれど、それはあまりによすぎて長つづきはしなかった。ちょうどクリストフの室の窓の正面に、七階建ての家が建築されかかっていて、そのために眺望《ちょうぼう》がさえぎられ、クリストフは四方を閉ざされてしまった。愉快なことには、滑車のきしる音や、石をけずる音や、板を打ち付ける音などが、毎日朝から晩まで聞こえてきた。その労働者の間には、先ごろ彼が屋根の上で知り合いになった屋根職人もいた。二人は遠くから合図で親しみを通じ合った。あるときなど、彼はその職人に往来で出会って、酒場へ連れて行き、いっしょに飲んだことさえあった。オリヴィエはびっくりして眉《まゆ》をしかめた。がクリストフは、その男の滑稽《こっけい》な饒舌《じょうぜつ》といつも変わらぬ上機嫌《じょうきげん》とを愉快がっていた。それでも彼はやはり、その職人や仲間の勤勉な動物どもが、家の前に障壁を築き上げ、光を奪うことを、呪《のろ》わずにはいられなかった。オリヴィエはあまり不平をこぼさなかった。眼界をふさがれることに慣れていった。あたかも圧搾された思想が自由な空へ吹き出すデカルトの暖炉に似ていた。しかしクリストフには空気が必要だった。彼はその狭い場所に幽閉されて、そのうめ合わせとして、周囲の人々の魂へ交渉していった。それらの魂を吸い込んで、それを音楽とした。オリヴィエは彼が恋でもしてるような様子だと言った。
「もし僕が恋をしたら、」とクリストフは答えた、「僕は自分の恋愛以外のものは、何物も見ず、何物も愛せず、何物にも興味をもたなくなるだろうよ。」
「ではいったいどうしたんだ?」
「ごく達者なんだ、腹がすいてるんだ。」
「君は幸いだ!」とオリヴィエは嘆息した。「君の食欲を、僕らにも少し分けてくれるといいがね。」
健康は感染的なものである――ちょうど病気のように。その健康の力の恩恵を最初に感じたのは、もとよりオリヴィエだった。そしてその力こそ、彼にもっとも不足してるところのものだった。彼は世の卑陋《ひろう》さが厭《いや》になって、世の中から引退していた。大なる知力と異常な芸術家的天分とをもっていながら、大芸術家となるにはあまりに繊弱だった。およそ大芸術家たるものは、何物をもいやがらないものである。あらゆる健全なる者の第一の掟《おきて》は、生活するということである。天才にあってはそれがなお強力となる。天才はより多く生活するからである。ところがオリヴィエは生活から逃げていた。身体も肉も現実との関係もない詩的作為の世界に、漂い浮かんでいた。世には、美を見出そうとして、もう過ぎ去った時代のうちに、もしくはかつて存在しなかった時代のうちに、美を捜し求めたがる人々がいるが、オリヴィエもその一人だった。人生の飲料は、今日では昔ほど人を酔わせるものではないと思ってるかのようである。かかる疲れた魂の人々は、人生との直接の接触をきらい、人生を堪え得るのはただ、過去の隔てによって織り出される幻影の帷《とばり》を通してであり、昔生きてた人々の死語を通してである。――クリストフとの交わりは、オリヴィエをそういう芸術の幽界からしだいに引き出した。彼の魂の深所に、太陽の光がさし込んできた。
技師のエルスベルゼもまた、クリストフの楽観主義に感染していった。でもそれは彼の習慣の変化となって現われはしなかった。彼の習慣はあまりに根深いものだった。フランスを去って他国へ成功を求めに行くほど、彼の気持を冒険的にならせることは、とうてい望み得られなかった。それはあまりに大なる要求だった。しかし彼は無気力の状態から脱した。長い前から打ち捨てている研究や読書や科学的の仕事に、ふたたび趣味をもちだした。かく自分の職業に興味がふたたび眼覚《めざ》めてきた原因は多少クリストフにあるということを、彼は聞かされたら定めし驚いたであろう。そしてクリストフのほうはさらに驚いたであろう。
家じゅうでクリストフがもっとも早く交際を結んだのは、三階の小さいほうの部屋の人たちだった。彼はその扉《とびら》の前を通るとき、一度ならずピアノの音に耳傾けた。それは若いアルノー夫人が一人きりのときに好んでひいてるものだった。そこで彼は、自分の音楽会への切符をその夫妻へ送った。彼らはそれを心から感謝した。それ以来彼は晩にときどき訪問してみた。若い婦人の演奏はもうまったく聞こえなくなった。彼女は非常に内気で人前ではひけなかった。一人きりのときでさえ、階段から聞く人があることを知ってる今では、弱音器をかけることにしていた。しかしクリストフは夫妻のために演奏してやった。そして皆で長く音楽の話にふけった。アルノー夫妻は若々しい心で話し、クリストフはそれをたいへん喜んだ。これほど音楽を愛するフランス人があろうとは、彼は思っていなかったのである。
「それは君が今まで、」とオリヴィエは言った、「音楽家にしか会わなかったからだ。」
「僕だって、」とクリストフは答えた、「音楽家はもっとも音楽を愛しない者であることを知っている。しかし君たちのような人がフランスに多数あろうとは、僕にはどうしても考えられない。」
「数千人いるさ。」
「それでは、それは一種の流行病だ、ごく最近の流行だろう。」
「流行の事柄ではありません。」とアルノーは言った。「楽器の楽しき和音や自然の声の楽しきを聞きながら[#「楽器の楽しき和音や自然の声の楽しきを聞きながら」に傍点]、それを少しも[#「それを少しも」に傍点]悦《よろこ》ぶことなく[#「ぶことなく」に傍点]、少しも感動することなく[#「少しも感動することなく」に傍点]、楽しき歓喜の情に頭より足先まで[#「楽しき歓喜の情に頭より足先まで」に傍点]戦《おのの》くことなく[#「くことなく」に傍点]、われを忘るることもできざる者は[#「われを忘るることもできざる者は」に傍点]、不徳なるゆがめる堕落せる魂をもてるしるしにして[#「不徳なるゆがめる堕落せる魂をもてるしるしにして」に傍点]、かかる者にたいしては[#「かかる者にたいしては」に傍点]、生まれ悪しき者にたいするがごとくに[#「生まれ悪しき者にたいするがごとくに」に傍点]、人は注意を要するなり[#「人は注意を要するなり」に傍点]……。」
「それは僕も知ってます。」とクリストフは言った。「わが親愛なシェイクスピヤの言葉です。」
「いいえ。」とアルノーは穏やかに言った。「シェイクスピヤよりも前の人、わがロンサールの言葉です。音楽を愛するのが流行にしても、フランスでは、昨今に始まったのではないことがおわかりでしょう。」
しかし、クリストフを多く驚かしたのは、フランスにおいて音楽が愛されてるということよりもむしろ、ドイツにおけるとほとんど同じ音楽が愛されてるということだった。彼が最初見たパリーの芸術家や当世人などの間では、ドイツの大家らをすぐれた他国人として取り扱うことが普通だった。彼らは賞賛を拒みはしなかったが、一定の距離をおいていた。そしてグルック式の鈍重さやワグナー式の野蛮さなどを好んであざけり、それにフランスの精緻《せいち》さを対立さしていた。実際クリストフもついには、フランスで実演されてるような方法では、フランス人がドイツの作品を理解し得るかを怪しんだ。彼はあるとき、グルックの作品公演から不快を感じてもどって来た。巧みなパリー人らは、この恐ろしい老人グルックに化粧させようとしていた。彼らは彼を塗りたて、彼にリボンを結びつけ、彼の律動《リズム》に真綿を着せ、印象派的色彩で、淫逸《いんいつ》な頽廃《たいはい》の色でその音楽を飾りたてていた……。気の毒なグルックよ! その心の雄弁さから、その道徳的純潔さから、その赤裸な悲痛さから、何が残っていたであろう? フランス人がそれらを感じ得ないせいではなかったろうか。――しかるにクリストフは今、ゲルマン魂の中に、ドイツの古い歌曲《リード》の中に、ドイツの古典芸術の中にもっとも根深く存在してるところのものにたいして、新しい友人らが深いやさしい愛情をいだいてることを、見てとったのだった。そして彼らに、それらドイツの大家連が彼らには他国人と思えるということや、フランス人がまったく愛し得るのは同民族の芸術家をのみであるということなどは、ほんとうではなかったのかと尋ねてみた。
「ほんとうなものですか!」と彼らは抗弁した。「批評家どもがわれわれの代弁をしてるのだと、勝手に自称してるのです。彼らはいつも自分らが流行に従ってるので、われわれまで流行に従ってるのだと言っています。しかし彼らがわれわれを気にかけていないと同様に、われわれのほうでも彼らを気にかけてはいません。彼らはまったく滑稽《こっけい》な馬鹿者どもで、フランス式であるものとないものとをわれわれに教えたがっています、古いフランスの生粋《きっすい》のフランス人たるわれわれに向かってです……。彼らはわれわれに向かって、わがフランスはラモーの中に――もしくはラシーヌの中に――あって、他にはないと高言しています。そしてベートーヴェンやモーツァルトやグルックが幾度か、われわれの炉のほとりに来て腰をおろし、われわれの愛する人々の枕辺《まくらべ》でわれわれとともに夜を明かし、われわれの苦痛を分かちにない、われわれの希望を力づけ……われわれの家庭の人となったということを、まるで知らないかのようです。けれどわれわれの考えを明らさまに言えば、わがパリーの批評家どもから祭り上げられてるフランスの某芸術家などこそ、われわれにとってはむしろ他国人なのです。」
「実際のところ、」とオリヴィエは言った、「もし芸術に国境があるとすれば、その国境は人種の間の境界というよりも、階級の間の境界と言うべきだ。フランスの芸術とかドイツの芸術とかいうものがあるかどうか、僕は知らない。しかし富んでる者らの芸術があり、また、富んでいない者らの芸術がある。グルックは偉大なる中流人であって、われわれと同階級のものである。ところが、僕は今はっきり名ざしたくないが、フランスの某芸術家などはそうでない。彼は中流階級に生まれてはいるけれど、われわれを不名誉だとし、われわれをしりぞけている。それでわれわれのほうでも、彼をしりぞけてるのだ。」
オリヴィエの言うところは真実だった。クリストフはフランス人をよく知れば知るほど、フランスの善良な人々とドイツのそれらとの間の類似に驚かされた。アルノー夫妻は、芸術に
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