率な反僧侶《はんそうりょ》主義をいだいていて、そのために、宗教を――ことにカトリック教を――蒙昧《もうまい》主義とみなし、牧師を明知の生来の敵と考えていた。社会主義、個人主義、過激主義などが、頭の中でぶつかり合っていた。精神上では人道主義者であり、気質の上では専制主義者であり、行為の上では無政府主義者であった。傲慢《ごうまん》ではあったが、教育の不足をみずから知っていて、会話においてたいへん用心深かった。人の言うことをすべて利用していたが、助言を求めようとはしなかった。助言を求めるのを恥辱としていた。ところが、彼の知力や才気がいかにすぐれていようとも、それだけで教育の不足をすっかり補うことはできなかった。彼は前から物を書こうと志していた。フランスには学問がなくて文章の巧みな者が多いとおり、彼もやはり文才があって、それをよく自覚していた。しかし思索のまとまりがなかった。苦心|惨澹《さんたん》の文を数ページ、信用してる豪《えら》い新聞記者に見せたところが、嘲笑《ちょうしょう》されてしまった。深く屈辱を感じて、それ以来は、自分のしてることをもうだれにも語らなかった。しかしなおつづけて書いていた。自分の考えを広く人に伝えることは、彼にとっては一つの欲求であり、矜《ほこ》らかな喜びだった。その雄弁や文章や哲学的な思想は、実は一文の価値もないものだったが、彼は内心それにはなはだ満足していた。そして実際非常にすぐれてる実生活にたいする観察には、みずから少しも重きをおいていなかった。彼には妙な癖があって、自分を哲学者だと信じており、社会劇や観念小説を作りたがっていた。解決しがたい問題をも容易に解決して、事ごとにアメリカ大陸を発見でもした気になっていた。そのアメリカの大陸がすでに発見されてるものであることをあとで知ると、だまされた気になり、多少|苦々《にがにが》しい心地になった。陰謀であるととがめだてしがちだった。名誉にあこがれぬき、献身の熱望に駆られていて、どういうふうに自分を使ってよいかわからないで苦しんでいた。彼の夢想するところは、大文学者になることだった。彼の眼には超自然的な威光を帯びてるらしく映る文士仲間、その一員に加わることだった。けれどいくら自惚《うぬぼ》れてみても、彼はかなりの良識と皮肉とをそなえていて、そういう機会が自分には到来しないことを知らないではなかった。それでも、中流思想の世界は、遠くから見ると光被してるように思われ、少なくともその中に住んでみたかった。そういう熱望はきわめて無邪気なものではあったが、身分上いっしょに暮らさなければならない人々との交際を困難ならしむるという、不都合さをきたした。そして、彼が接近しようとつとめてる中流社会からは門戸を閉ざされたので、その結果だれにも会えないこととなった。それでクリストフは、この男と交際するにはなんらの努力をも要しなかった。むしろすぐに避けなければならなかった。そうでないと、クリストフのほうから出かけてゆくよりもしばしばオーベルのほうからやって来たに違いない。オーベルは音楽や芝居などの話相手になる芸術家を見出して非常に喜んでいた。しかしクリストフは、読者もそう想像するであろうが、そんなことには彼と同じ興味を見出さなかった。民衆の一人を相手にしてはむしろ民衆のことを話したかった。しかるにオーベルは、そんなことを話したくなかったし、またそんなことを知ってもいなかった。

 下の階に降りてゆくに従って、クリストフと他の借家人たちとの関係は、自然に遠くなっていった。それにまた、四階の人たちのところへはいり込むには、何かある魔法的な秘訣《ひけつ》を、開けよ[#「開けよ」に傍点]胡麻《ごま》を、知っていなければならないほどだった。――一方には、二人の婦人が住んでいて、古い喪の悲しみのうちに浸り込んでいた。ジェルマン夫人という三十五歳になる女で、夫と小さな娘とに死なれてから、信心深い老年の姑《しゅうとめ》とともに、家に閉じこもってばかり暮らしてるのだった。――その向こう側には、五、六十歳ぐらいの年齢不確かな謎《なぞ》のような人物が、十歳ばかりの少女といっしょに住んでいた。頭は禿《は》げていたが、ごく手入れの届いたりっぱな髯《ひげ》をもっていた。静かな口のきき方をし、上品な態度で、貴族的な手をもっていた。ヴァトレー氏と人から呼ばれていた。無政府主義者で革命家で外国人だそうだったが、ロシアかベルギーかどこの国の人ともわからなかった。ところが実際は、彼は北部フランスの人で、もう今ではほとんど革命家ではなかった。ただ昔の名声だけで生きていた。一八七一年のパリー自治政府に関係して、死刑の宣告を受けたのだったが、自分でもどうしてだかわからないほど不思議にのがれた。それから十年ばかりの間は、ヨーロッパの
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