黷ツの悲劇だ。」とクリストフは言った。「悲劇を歓呼せんかな!」

 大波は消えていった。すべての人々がひそかな恐れをいだいて急いで忘れようとした。だれももう先ほどからの出来事を覚えていないようなふうだった。それでもなおそのことを考えてるのが認められた。なぜなら、彼らは皆喜ばしい様子で、ふたたび生活に、脅かされたときに初めて全価値がわかる日常の善良な生に、心を寄せていた。ちょうど危険が一つ過ぎ去ったかのように、以前に倍加した執着を示していた。
 クリストフは以前に数倍した熱心さで、また制作に身を投じた。オリヴィエをもいっしょにそれへ引き込んだ。二人は陰鬱《いんうつ》な思想にたいする反動から、ラブレー風の叙事詩をいっしょに制作し始めた。その叙事詩は精神的圧迫の時期の後に来る強健な唯物主義の色を帯びていた。その伝説的な主人公――ガルガンチュア、法師ジャン、パニュルジュ――にオリヴィエは、クリストフの感化で、新しい人物を一人加えた。それはパシアンスという百姓であって、素朴《そぼく》な、小賢《こざか》しい、ずるい男で、打たれ、奪われ、勝手なことをされ――妻を愛され、畑を荒らされ、人からされるままになり――それでいて飽かずに、自分の土地を耕し――戦争にやらされ、あらゆる打擲《ちょうちゃく》を受け、人からされるままになり――主人たちの功績や自分が受ける打擲を、期待し面白がり、「このままでいつまでつづくものか」と考え、最後の蹉跌《さてつ》を予見し、それを横目でじろじろ待ち受け、無言の口を大きく開いてすでに前もって嘲笑《あざわら》っていた。果たしてある日、ガルガンチュアと法師ジャンとは、十字軍に行って行くえ不明になった。パシアンスは彼らの死を正直に惜しみ、快活にみずから慰め、おぼれかかったパニュルジュを救い、そして言った。「お前さんがわしにまだいろんな悪戯《わるさ》をすることは、よくわかってる。だけどわしはお前さんを捨てることができない。お前さんはわしの腹の役にたつ、わしを笑わしてくれるから。」
 そういう詩に基づいて、クリストフは作曲した。合唱付の交響曲的大画幅で、勇壮|滑稽《こっけい》な戦争、放埓《ほうらつ》な祭礼、道化た奇声、大袈裟《おおげさ》な子供じみた喜びをもってるジャヌカン的な恋歌、海上の暴風雨、鳴り響く島とその鐘が含まっていて、最後の牧歌的な交響曲《シンフォニー》には、牧場の空気がいっぱい満ちていて、朗らかなフルートとオーボエの喜悦や、民謡などを含んでいた。――二人の友はたえず愉快に仕事をした。頬《ほお》の蒼《あお》い痩《や》せぎすのオリヴィエも、力のうちに浸っていた。彼らの屋根裏の室には喜悦の竜巻《たつまき》が吹き過ぎていた……。自分の心と友の心とをもってする創作! 二人の恋人の抱擁も、この親しい二つの魂の和合に比べては、楽しさも熱烈さも劣るであろう。二つの魂はついにすっかり融《と》け合ってしまって、同時に同じ思想の閃《ひら》めきをもつほどになった。あるいはまた、クリストフがある場面の音楽を書いてると、オリヴィエはやがてその言葉を見出していた。クリストフはオリヴィエを自分の否応なしの航路中に引き入れていた。彼の精神はオリヴィエを包み込み、オリヴィエを豊饒《ほうじょう》ならしめていた。
 創造の喜びに勝利の愉快さも加わってきた。ヘヒトは思い切ってダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]を出版したのだった。その総譜は時機に投じて、外国でたちまち名声を博した。ヘヒトの友人でイギリスに住んでいるワグナー派の有名な楽長が、その作品に感激した。彼は多くの音楽会にそれを演奏して、非常な成功を収め、それが彼の感激とともに、ドイツへ反響して、ドイツでも演奏された。楽長の方ではクリストフと文通を始め、他の作品を求め、尽力を申し越し、熱心な宣伝をしてくれた。ドイツでは、昔排斥されたイフィゲニア[#「イフィゲニア」に傍点]がふたたび取り上げられた。人々は天才だと叫んだ。クリストフの経歴の小説的な事情は、少なからず人の注意をひく助けとなった。フランクフルト新聞[#「フランクフルト新聞」に傍点]が初めて、反響の大きな記事を掲げた。他の新聞もそれにならった。するとフランスにおいてもある人々は、フランスに大音楽家がいることに思いついた。パリーの音楽会長の一人はクリストフに、そのラブレー風の叙事詩曲がまだでき上がらない前から演奏を申し込んだ。グージャールはクリストフの来たるべき名声を予感して、自分が発見した天才たる友人のことを、意味深げな言葉で語り始めた。そして素敵なダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]を記事で賞賛した――前年ある記事で二、三行|悪罵《あくば》を加えたことなんかは、もうきれいに忘れはてていた。彼の周囲の者も一人として、もうそれを覚えてはいなかった。パリーでは
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