Aワグナーやフランクも昔はひどくけなされたものであるが、今日では新しい芸術家らを排斥するために賞賛されており、その新しい芸術家らとて、明日は賞賛されるようになるだろう。
 クリストフはこういう成功をほとんど予期していなかった。いつかは勝利を得ると知ってはいたけれど、それがこんなに早かろうとは思っていなかった。そしてあまりに急な成果を信じかねた。彼は肩をそびやかして、構わないでおいてくれと言っていた。前年ダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]を書いた当時に喝采《かっさい》されたのなら、訳がわかっていた。しかし今ではもうそれから遠くに来ていて、幾段もの進歩をしてるのだった。昔の作品のことを喋々《ちょうちょう》してくれる人々に、彼は好んでこう言いたかった。
「そんなつまらないもののことは構わないでくれ。僕はその作がいやだ。君たちも嫌《いや》だ。」
 そして彼は、気持を乱されたことを多少いらだちながら、新しい仕事に没頭した。それでもひそかな満足を覚えていた。光栄の最初の光はきわめて楽しいものである。打ち克《か》つのは愉快な健全なものである。それは、開けゆく窓であり、家の中に入り来る初春の気である。――クリストフは、自分の昔の譜作を、そしてことにイフィゲニア[#「イフィゲニア」に傍点]を、いくら軽蔑《けいべつ》してみても駄目《だめ》だった。先年あれほど彼に屈辱を与えたその惨《みじ》めな作イフィゲニア[#「イフィゲニア」に傍点]が、ドイツの批評家らから賞賛され劇場から求められてるのを見るのは、彼にとってはやはり一つの腹癒《はらい》せだった。ちょうど今もドレスデンから手紙が来て、つぎの季節にその作の上演を許してもらえれば幸いだと……彼へ言ってきた。

 多年の艱難《かんなん》の後ついに、より平安な前途と遠くに勝利とを瞥見《べっけん》させる右の報知が、クリストフのもとへ届いた同じ日に、他の一通の手紙が、また彼のもとへ到着した。
 それは午後のことだった。隣室のオリヴィエへ快活に話しかけながら、顔を洗ってるところへ、門番の女が一対の手紙を扉《とびら》の下から差し入れていった。母の筆跡……ちょうど彼も母へ手紙を書くつもりだった。自分の成功を知らせるのがうれしかった……。彼は手紙を開いた。わずか数行だった。ひどく震えた筆跡だった……。

[#ここから2字下げ]
 いとしき子よ、私は身体があまりよくありません。もしあなたが来られるものなら、も一度会いたくてなりません。あなたに接吻《せっぷん》します。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]母より


 クリストフは呻《うめ》き声をたてた。オリヴィエはびっくりして駆けてきた。クリストフは口がきけなくて、テーブルの上の手紙をさし示した。彼はなお呻き声をつづけて、オリヴィエが言ってることを耳にも入れなかった。オリヴィエは一目で手紙を読み取って、彼を落ち着かせようとした。彼は上衣を置いてる寝台へ駆け寄って、大急ぎでそれを引っ掛け、略式カラーもつけないで――(指があまり震えてつけられなかった)――外へ出かけた。オリヴィエは階段の上で彼に追っついた。彼は何をするつもりなのか。手当たりしだいの汽車で出発するつもりなのか。でも晩にならなければ汽車はない。停車場で待つより家で待ってるほうがましだ。第一必要な金さえもってるのか。――二人はポケットを捜した。そして二人がもってる全部を集めても、三十フランばかりにしかならなかった。九月のことだったから、ヘヒトもアルノー夫妻もすべての友人らが、パリーの外に出かけていた。便りの者は一人もいなかった。クリストフは夢中になって、一部分は歩いてゆくと言った。オリヴィエは一時間待ってくれと頼み、必要な金高を見つけてくると約束した。クリストフは言われるままに任せた。自分でなんの考えもつかなかった。オリヴィエは質屋へ駆けて行った。質屋へ行くのは初めてだった。もしそれが自分のことだったら、どれも皆何かの大事な思い出を帯びてる品物を一つ入質するよりは、欠乏を我慢するほうが好ましかった。しかし今はクリストフのことであり、少しも猶予しておれなかった。彼は懐中時計を入質した。思ってたよりはるかに少ない金高を渡された。で彼は余儀なく、また自分の室にもどり、数冊の書物を取り、それを古本屋へもっていった。それは切ないことだった。しかし今の場合そんなことはほとんど頭になかった。クリストフの悲痛にすっかり心を奪われていた。もどってきてみると、クリストフは前どおりの場所にいて、がっかりしぬいてる様子だった。所持の三十フランにオリヴィエが得てきた金を加えると、必要以上の金高になった。クリストフはすっかり力を落としていたので、友人がどうしてその金を手に入れたか、また自分の不在中の生活費を取りのけているかどうかを、尋
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