ヘ尋ねた。「相変わらず広場の市《いち》の馬鹿者どもを相手にしてるのか。」
「いや、誠実な人たちに言ってるんだ。悪者どもがのさばって、嘘《うそ》をつき奪い盗み人殺しをしている。しかしその他の者を――彼らを蔑視《べっし》しながら勝手なことをさせてる人たちを、僕ははるかに多く軽蔑する。新聞雑誌の仲間たちが、誠実な教養ある批評家たちが、無定見なアールカンどもにわいわい言われてる芸術家たちが、臆病《おくびょう》から、災いをこうむる恐れから、あるいは、相互に容赦するという恥ずべき打算から、敵の打撃を免れるために敵と結んだ一種の密約から、奴《やつ》らをなすままに任して黙っていることがなかったならば――もし彼らがその庇護《ひご》と友情とを奴らに利用されるままに任せることがなかったならば、奴らの厚顔な威勢は単なる物笑いとなってしまうだろう。あらゆる方面に同様な気弱さがある。僕が出会った多くの善良な人々は、ある男について『彼奴《あいつ》は馬鹿者だ』と僕に言ってきかせながら、その男を『親しい仲間』と呼びかけて握手しないような者は、一人もなかった。――『あんな人間が多すぎる』と彼らは言っている。――がまったく腰抜けが多すぎる。誠実でありながら卑怯である者が多すぎるのだ。」
「ではどうせよというんだ?」
「君たち自身で警察事務をやるのさ! 君たちは何を待ってるのか。仕事を天に引き受けてでももらいたいのか。そら、ちょうど見てみたまえ。雪が降ってから三日になる。雪は街路を埋め、パリーを泥海《どろうみ》にしている。が君たちは何をしてるのか。君たちを泥水の中に放っておく施設にたいしては非難の声をあげている。しかし君たち自身はそれから脱しようとしているか。あきれたことだ。腕を拱《こまぬ》いてばかりいて、だれも家の前の歩道を掃くだけの勇気をもっていない。国家も個人もともにその義務を尽くしていない。両者たがいにとがめ合って責を免れたと思っている。君たちは数世紀間の君主主義的教育のため、自分自身で何にもしないことに馴《な》れきっていて、奇跡を待ちながらいつもぼんやり天を仰いでるような様子だ。がここに可能な唯一の奇跡は、君たちが行動の決意をするということだろう。ねえオリヴィエ、君たちはたくさんの知力と美徳とをもっている。しかし血が君たちには不足している。第一に君には不足している。君たちのうちで病衰してるものは、精神でも心でもない。それは生命なんだ。生命が逃げ去りかけてるんだ。」
「しかたないさ。生命がもどってくるのを待つよりほかはない。」
「生命がもどってくるのを欲しなければいけない。意欲する[#「意欲する」に傍点]ことが必要なのだ。そしてそのためにはまず、自分の家に清い空気をはいらせなければいけない。家から外に出たくないときには、少なくとも家を健全にしておかなければいけない。君たちは市場《いちば》の悪い空気で家を毒されるままにしている。君たちの芸術と思想とは三分の二以上悪変させられてる。そして君たちは意気|沮喪《そそう》のあまり、もうそれを憤ろうともしないし、ほとんど驚こうともしない。気おくれがしてるそれらのばかな善人らのうちには、自分らのほうが誤りで欺瞞《ぎまん》者どものほうが正当だと、ついに思い込んでしまってる者さえある。何物にも欺かれていないと公言してる君のイソップ[#「イソップ」に傍点]誌の連中のうちにも、愛してもいない芸術を愛してると思い込んでる憐《あわ》れな青年らに、僕は出会った。彼らはうれしくもないのにただ順従の念から酔っ払ってる。そしてその虚偽のうちに倦怠《けんたい》しきっている。」
クリストフは、胎《はら》のすわらない連中の中を、あたかも眠ってる樹木を揺り起こす風のように通りすぎていった。彼は自分の考え方を彼らに教え込もうとはしなかった。自分で考えるだけの元気を彼らに吹き込んでやった。彼はこう言っていた。
「君たちはあまりに謙譲だ。神経衰弱的疑惑こそ大敵なんだ。人は寛容で人間的であり得るしあるべきである。しかし、善であり真であると信じてる事柄を疑ってはいけない。そして信じてる事柄を支持しなければいけない。われわれの力がどのくらいのものであろうと、われわれは譲歩してはならない。この世においては最小のものも最大のものと同等に一つの義務をもっている。そして最小のものもまた――(みずからよく知っていないことであるが)――一つの力をもっているのだ。君たちだけの反抗を取るに足らぬものだと思ってはいけない。強健で自己を肯定し得る本心は一つの威力である。君たちが近年一度ならず見てきたとおりに、国家と世論とは一人のりっぱな男の判断を重んじなければならなかったではないか。しかもその男の武器といっては、公然と執拗《しつよう》に肯定されたその精神力のみだったのだ……。
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