っていて、中央アジアの名高い発掘で世に知られたアッシリア学者だった。同民族の多数の者と同じく好奇心に富んだ広い精神をもっていて、その専門の研究だけに閉じこもっていずに、美術、社会問題、現代思想の各種の現われなど、無数のことに興味をもっていた。がそれでもなお彼の心を満たすに足りなかった。というのは、彼はあらゆることを面白く思ったが、どれにも熱中することができなかった。きわめて頭がよく、あまりに頭がよく、何物にもあまりにとらわれなくて、一方の手でこしらえ上げたものを他方の手でこわしがちだった。実際彼は著作や理論などを多くこしらえ上げていた。非常な勉強家だった。自分のしてることを別に有益だとは思わなかったが、習慣によってまた精神的摂生法によって、自分の痕跡《こんせき》を学界に気長に深く刻みつづけていた。いつも禍《わざわい》なことには富裕だった。そのため生存競争の興味をかつて味わったことがなかった。東方諸国における努力にも数年の後に飽いてしまって、それからはもうなんらの公職にもつかなかった。それでも自分独りの勉強以外に、時事問題、実際直接な社会改革、フランスにおける社会教育の改造、などに先見の明をもって関係していた。種々の意見を発表して思潮をこしらえていた。思想界に活気を与えながら、すぐにまたそれにも厭気《いやけ》がさしていた。議論によって多くの人を論争に巻き込み、もっとも痛烈なもっとも圧倒的な批評を加えて彼らを悲憤さしたことも、一度ならずあった。彼はことさらそんなことをしたのではなかった。それが生来の欲求だった。きわめて神経質で皮肉だったので、他の迷惑となるほどの明敏さで事物人物の滑稽《こっけい》な点を見抜き、それを容赦することが困難だった。いかにりっぱな主張も人物も、それをある角度から見たりある拡大を施して見たりすれば、かならずなんらかの滑稽な方面を現わすものであり、したがって、皮肉な彼にはそれを長く尊敬してることができなかった。それゆえ彼には友人ができよう訳はなかった。しかし彼は他人のためを計ってやるという善良な意志をもっていたし、実際それを行なっていた。けれどもあまりありがたいとは思われなかった。彼の世話を受けた人たちでさえ、彼の眼から滑稽に見てとられたことを、ひそかに許しがたく思っていた。彼は人を愛せんためにはあまりによく人を見ないほうがよかった。彼は人間ぎらいな
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