のではなかった。人間ぎらいの役目をなし得ようとは自分でも思ってはしなかった。世間をあざけってはいるがその世間にたいしてむしろ臆病《おくびょう》だった。内心では、自分より世間のほうが道理でないとは確信できなかった。他人とあまり異なったふうをするのを避けていたし、表面に現われてる他人のやり方や意見に則《のっと》ろうとつとめていた。しかしいかにしても無駄だった。それらを批判せずにはいられなかった。あらゆる誇張されたものや単純ではないものにたいして、鋭敏な知覚をそなえていた。そして自分のいらだちを少しも隠し得なかった。ことにユダヤ人らの滑稽《こっけい》な点には、彼らをよく知ってるだけになおさら敏感だった。そして、人種間の柵《さく》を認めないほど自由な精神をもってたにもかかわらず、他の人種の者らが彼にたいして設けてる柵にしばしばぶつかったので、また、彼自身も不本意ながら、キリスト教的思想の中では異境にある気がしたので、彼は威厳ある孤立を守って、自分の皮肉な批判癖と細君にたいする深い愛情とのうちに引っ込んでいた。
災《わざわ》いなことには、細君もまた彼の皮肉な眼からのがれなかった。彼女は親切で、活動的で、自分を役だたせたいと願い、いつも慈善事業にたずさわっていた。夫よりはるかに複雑でない性質の彼女は、自分の道徳上の誠意のうちに、また、自分の義務としてる多少|頑《かたくな》な理知的なしかしごく高尚な意見のうちに、うずくまり込んでいた。かなり憂鬱《ゆううつ》で、子供もなく、大きな喜びもなく、大きな愛もない、彼女の全生活は、その道徳的信念の上に築かれていた。が信念というも実は信じたい意志にすぎなかった。夫の皮肉な眼は、彼女の信念のうちにある勝手な欺瞞《ぎまん》の方面を見のがさなかったし、心ならずもからかわずにはいられなかった――(それは自分でも抑制し得ないことだった。)彼はまったく矛盾ででき上がっていた。義務については細君に劣らぬ高尚な感情をもっていたが、また同時に、解剖し批評し欺かれたくないという一図な欲求をもっていて、自分の道徳上の命令を寸断し粉砕していた。彼は細君の立脚地を覆《くつが》えしてることには気づかなかった。残酷なまでに細君を落胆さしていた。それに感づくと彼女以上に苦しんだ。しかしもうやったことでしかたなかった。それでも彼らはなおつづけて、忠実に愛し合い、働き、善を行
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