d荷である――古来の生活の大|桶《おけ》である。桶の底には、倦怠《けんたい》の苛辣《からつ》な滓《かす》がたまっている……。倦怠、セム種族の広大な倦怠、それはわれわれアリアン種族の倦怠とは別種のものである。アリアン種族の倦怠は、われわれをかなり苦しませてはいるが、少なくともはっきりした原因をもっていて、その原因とともに過ぎ去ってしまう。なぜならそれはたいてい、欲望するものを得ないという憾《うら》みから来てるものである。しかしあるユダヤ人らにあっては、生の源泉そのものが、致命的な毒によって害されている。もはや欲望もなく、何物かにたいする興味もない。野心も愛も快楽もない。そして、数世紀来必要上精力を消費してきて疲憊《ひはい》しつくし、不動心の境地を渇望しながらそれに到達し得ないでいるそれらの、東方から根こぎにされた人々のうちに、ただ一つのもののみが、完全なままではなく、病的に過敏になされて、残存している。それは思考癖であり、限りなき分析癖であって、前もってあらゆる享楽を不可能ならしめ、あらゆる行動の勇気を失わせる。もっとも元気ある者らは、自分のために活動する以上に、種々の役目を引き受けてそれを演じている。不思議なことには、そういう実生活にたいする無欲さは、彼らのうちの多くの者に――かなり知力ありまた往々かなり真面目《まじめ》なのであるが――俳優となって生活を演ずるという、天性もしくは無意識的な願望を吹き込んでいる。そして彼らにとっては、それが唯一の生活方法なのである。
 モークもやはり自己流の俳優であった。彼は気晴らしのために活動していた。しかし、多くの者が利己心のために活動してるのに反して、彼は他人の幸福のために活動していた。クリストフにたいする彼の尽力は、感心なほどでまたうるさいほどだった。クリストフはいつも彼を冷遇し、そのあとでまた後悔した。しかしモークはかつてクリストフを恨まなかった。何事も彼の気をそこなわなかった。と言って、クリストフにたいして強い愛情をもってるからではなかった。彼が愛してるのは、身をささげてる相手の人々よりも、献身そのものだった。相手の人々は彼にとっては、善をなすための、生きるための、一つの口実にすぎなかった。
 彼は非常に骨折って、クリストフのダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]と他の数曲とを、ヘヒトに出版させることにした。ヘヒトはクリストフの
前へ 次へ
全167ページ中79ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング