殺を手きびしく非難した。ジャンナン夫人は夫を弁護した。上院議員は言い進んだ。銀行家のあの行動は不正直から出たことではないが、愚昧《ぐまい》から出たことは明らかである。彼は馬鹿者であり迂闊者《うかつもの》であって、だれにも相談せず、だれの意見にも耳を傾けず、自分一人の考えでばかり事を行なおうとしたのだ。それでも、彼が一人で没落したのなら、何も言うことはない。当然のことだから。しかし――他人をも没落のうちに引き込んだことは言うまでもなく――妻と子供たちとを困窮のうちに投じておいて、なんとかやってゆくままに打ち捨てて置きざりにしたこと……それは、聖者のようなジャンナン夫人の眼から見たら許されもしようが、しかしこの上院議員は、聖者(saint)ではなくて、単に健全(sain)なる人間――健全で思慮あり理性ある人間――であることを誇りとしているので、許すべきなんらの理由をももってはいない。そんな場合に自殺するような男は、悪い奴《やつ》だというべきである。ただジャンナンを弁護し得る唯一の酌量すべき事情は、彼にまったく責任があるのではなかったということである。そこで、上院議員はジャンナン夫人に向かって、彼女の夫について多少|苛酷《かこく》な言い方をしたことを詫《わ》び、それも実は彼女に同情したからのことであると言い、そして引き出しを開きながら、五十フランの紙幣――施与――を差出した。それを彼女は拒絶した。
彼女はある官省に職を求めようとした。が彼女の奔走は拙劣だったし連絡が欠けていた。一度奔走するにもある限りの勇気を費やした。そしてはがっかりしてもどって来、数日間身を動かすだけの力もなかった。ふたたび奔走しだすときにはもう時機遅れだった。また教会の人たちからも助力は得られなかった。彼らは彼女を助けることに利益を見出さなかったし、また、明らかに反僧侶《はんそうりょ》主義の主人をもっていた零落してる家族に、同情の念を起こさなかったのである。幾多の努力の後にジャンナン夫人が見出し得たものは、ある修道院におけるピアノ教師の地位――ひどく給料の少ないありがたくもない職業――であった。彼女はなおも少し稼《かせ》ぐために、晩にはある筆耕取次所の仕事をした。そこの人たちはきわめて手きびしかった。彼女の筆跡はまずかったし、またいくら注意しても、うっかり一語落としたり一行飛び越したりして――(それ
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