音楽を多く奏した。音楽が心の底まで沁《し》み通っていた。彼は自分が奏してるものを理解しようとは求めないで、受動的にそれを楽しんだ。だれも和声《ハーモニー》を教えてやろうとする者はいなかったし、彼自身も教わろうとは心掛けなかった。あらゆる学問および学問的精神はことごとく、彼の家庭に欠けていて、ことに母方の方に欠けていた。法律の人であり才気の人であり古典文学者であるその人たちは、何かの問題に出会うとまごついてしまった。血縁の一人――遠縁のある従弟《いとこ》――が天文協会にはいったというのを、一大珍事のように語っていた。その従弟は狂人になったとの噂《うわさ》までしていた。強健着実ではあるが長い消化と日々の単調さとで眠らされてる精神の、田舎《いなか》の古い中流階級の人たちは、自分の良識だけを頼りとしている。彼らはいかにも自信の念が強くて、自分の良識で解決できない問題はないと自惚《うぬぼ》れている。そして彼らは、学術の人を一種の芸術家と見なしがちで、ただ、芸術家よりも有用ではあるが高尚ではないと考えている。なぜかと言えば、少なくとも芸術家はなんの役にもたたないからである。そしてその無為な生活には上品さがないでもない。ところが学者は、たいてい手工的労働者で――(それは不名誉なことだ)――せいぜい職工長くらいのもので、芸術家より学問はあるが多少気が変になっている。紙の上ではすぐれてるか知れないが、その数字の工場から外へ出ると、もうまるで木偶《でく》の棒だ。生活と実務との経験ある良識家に導かれなかったら、学者はとてもやってゆけるものではない。
ところがあいにくにも、生活と実務との経験が、これら良識家らが信じたがってるほど堅実なものであるとは、まだ証明されてはいない。それはむしろ、ごくわずかのきわめて容易な場合にのみ限られてる、一種の熟練と言うべきである。迅速《じんそく》勇敢な決意を要する意外な場合にぶつかると、彼らはもうなす術《すべ》を知らない。
銀行家ジャンナンは、そういう種類の人物だった。万事は前もってよくわかっていたし、田舎《いなか》生活の一定の調子で正確にくり返されていたので、彼はその業務において重大な困難にかつて出会わなかった。その職業にたいする特殊の能力なしに、ただ父の業を受け継いだのだった。それ以来万事が好都合にいったので、自分が生来賢明なからだと慢《おご》ってい
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