守[#「バグダッドの太守」に傍点]の序曲、若きアンリーの狩[#「若きアンリーの狩」に傍点]の序曲、モーツァルトの二、三の奏鳴曲《ソナタ》など、いつも同じものばかりで、またいつも音が間違っていた。それらの曲は、客を招待する夜会にはつきものだった。食事のあとにはかならず、技能ある人々はその腕前を見せてくれと願われた。彼らは最初顔を赤らめて断わるが、ついには一同の懇請にうち負けて、自慢の曲をそらでひいた。すると皆は、その音楽家の記憶力と「玉をころがすような」演奏とを賞賛した。
ほとんどどの夜会にもくり返されるその儀式は、二人の子供にとっては、晩餐《ばんさん》の喜びを殺《そ》いでしまうものだった。バザンのシナ旅行[#「シナ旅行」に傍点]やウェーバーの小曲などを、四手でひかなければならないときにはまだ、たがいに頼り合ってさほど恐れはしなかった。しかし独奏しなければならないときには、非常な苦痛だった。いつものとおり、アントアネットの方がいくらか勇気があった。厭《いや》で厭でたまらなくはあったけれども、のがれる道がないと知っていたから、彼女は思い切って、かわいい決心の様子でピアノにつき、そのロンド[#「ロンド」に傍点]をむちゃくちゃにひきながら、ある楽節ではまごつき、ひき渋ったり、ふいにひきやめたり、後ろを振り向き、「ああ、忘れたわ……」と微笑《ほほえ》みながら言ったり、それからまた勇敢に、数節先からひきだして、終わりまでやりつづけるのだった。そのあとで彼女は、ひき終えた満足を隠さなかった。喝采《かっさい》を浴びせられながら元の席にもどって来ると、笑いながら言っていた。
「私何度も間違えたわ……。」
しかしオリヴィエは、もっと気むずかしかった。公衆の前に出てゆくことが、集まってる人たちの目標となることが、辛棒できなかった。人がたくさんいるときには、口をきくのさえ苦痛だった。まして、音楽を愛しもせず――(彼はそれをよく見て取っていた)――音楽に退屈までし、ただ習慣上から演奏を求めてる、その人たちのために演奏することは、彼にとっては迫害にも等しかった。彼はただいたずらに逆らおうとばかりした。いつも頑固《がんこ》に拒んでやった。ときには逃げ出すこともあった。まっ暗な室や、廊下の隅《すみ》や、また、蜘蛛《くも》がひどく恐《こわ》いのも構わずに、物置にまではいり込んで、身を隠した。しか
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