を正確に聴き取りまたは暗誦してるのみだった。自分にとっても魂は必要ではなかったから、音楽のうちにも魂を捜そうとしなかった。愛想がよく怜悧《れいり》で単純でいつも人の世話をしたがってる彼女は、だれにでもそうであるが、クリストフにも歓待をつくしてくれた。クリストフは別にありがたいとも思わなかった。彼は彼女に多くの同情を寄せていなかった。いてもいなくても同じような者だと思っていた。彼女が夫の情事を知りながら情婦らとともに夫を分有して満足してることをも、彼はわれ知らず許しがたく思っていたに違いない。受動的だということはあらゆる悪徳のうちでも、彼が最も許しがたく思ってたものである。
 アシル・ルーサンにたいしては、彼はもっと親しい交わりを結んだ。ルーサンは他の芸術を愛すると同じように、音楽をも粗野ではあるが真面目《まじめ》な心で愛していた。一つの交響曲《シンフォニー》を愛する時には、それといっしょに臥《ふ》せるような様子だった。教養は浅薄だったが、それを巧みに利用していた。この点においては彼の妻も何かの役にたった。そして彼は、自分と同じような強健な一平民の姿をクリストフのうちに認めて、クリストフに興味を覚えた。そのうえ彼は、この種の変人を目近に観察したがっていたし――(彼は人間をいくら観察しても飽きない好奇心をもっていた)――パリーに関する彼の印象を知りたがっていた。そしてクリストフの露骨な忌憚《きたん》なき意見を面白がった。彼はかなり懐疑的だったので、それらの意見の正確さを認めることができた。クリストフがドイツ人であることは邪魔にはならなかった。かえってその反対だった。彼は国家的偏見を超越してると自負していた。そして結局、彼は真面目に「人間的」だった――(それが彼の主要な特長だった)――すべて人間的なものに同情を寄せていた。しかしながら、それでもやはり彼は、フランス人――古い民族、古い文明――の方が、ドイツ人よりも優秀だという確信をいだかざるを得なかったし、ドイツ人をあざけらずにはいられなかった。

 クリストフはアシル・ルーサンの家で、過去に大臣でありあるいは未来に大臣たるべき、他の政治家らに出会った。それらの著名な人々から話せる男だと判断されて、そのおのおのと一人一人話をしたら、彼はかなり愉快を感じたかもしれなかった。一般に伝えられてる意見と反対に、彼は知り合いの文学者仲間よりも、これら政治家の連中をより興味深く感じた。人類の熱情や大なる利害問題にたいして、彼らはいっそう活発な打ち開けた知力をもっていた。たいていは南欧生まれの話し上手《じょうず》で、驚くべきほど芸術愛好家だった。その点だけを言えば、「ほとんど文学者と同じだった。もちろん彼らは芸術にかなり無知で、ことに外国の芸術には無知だった。しかし彼らは皆、多少の芸術通をもって任じていた。そしてしばしばほんとうに芸術を愛していた。大臣連中の会議が、小雑誌の会合に似てくることさえあった。ある者は脚本を作っていた。ある者はヴァイオリンをかき鳴らしてワグナー狂だった。ある者は絵画を塗りたてていた。そしてだれも皆、印象派の画を集め、頽廃《たいはい》派の書物を読み、彼らの思想とは大敵である極端に貴族的な芸術を、追従《ついしょう》的に味わっていた。社会主義もしくは過激社会主義のそれら大臣連中が、飢餓階級の使徒らが、精緻《せいち》な享楽の方面における通人を気取ってるのを見ると、クリストフは変な気がした。もちろんそういうことをするのも彼らの権利ではあった。しかし彼から見るとあまり誠実だとは思われなかった。
 最も不思議なことには、彼らは個人としては、懐疑的で快楽主義者で虚無主義者で無政府主義者であるくせに、一度実行に移ると、すぐに熱狂的になるのであった。最も享楽的な連中でも、権力を得るようになると、東方的な小さな専制者に変わるのだった。すべてを意のままに指導して何物をも自由にさせない病癖をもっていた。懐疑的な精神と暴君的な気質とをもっていた。誘惑の方があまりに強いので、専制者中の最も偉大な者によって昔制定された、中央集権制の恐るべき機関を利用せずに、それを濫用してばかりいた。その結果一種の共和的帝政主義が生じ、近年になっては、無信仰的なカトリック主義がその上につみ重なってきた。
 ある期間政治家らは、物体――というのは財の謂《い》いである――の支配をしか主張しなかった。霊魂の方はほとんどそのままに放っておいた。鋳直《いなお》すことができなかったからである。霊魂の方でもまた、政治には関与しなかった。政治は霊魂の上や下をすべり越していた。フランスにおいては政治は、商業や工業の有利なしかし不確実な一分派だと考えられていた。知識階級は政治家らを軽蔑《けいべつ》し、政治家らは知識階級を軽蔑していた。――ところが最近になって、政治家らと知識階級の最下級者らとの間に、多少の接近が生じてき、やがて間もなく同盟が結ばれた。思想の絶対支配権を僭有《せんゆう》する新しい一つの力が、舞台に現われてきた。それは自由思想家らであった。彼らのうちに専制政治の完全な一機関を見出したも一つの力と、彼らは結託した。彼らは教会を破壊するよりもむしろ、それに取って代わろうとした。そして実際彼らは、自由思想という一つの教会を作り上げた。特殊な教理問答、儀式、洗礼、最初の聖体拝受、結婚、地方のまた一国の教議会、ならびにローマの万国的教議会、などをもっていた。「自由に思考する」ために群をなして団結しなければならない、それら無数の憐《あわ》れな愚人どもは、実に笑止の至りだった。実際のところ、彼らの思想の自由なるものは、他人の思想の自由を理性の名において禁ずることにあるのだった。カトリック教徒らが聖母を信ずると同じように彼らは理性を信じていた。この両者の人々はともに、理性もしくは聖母というものは、それ自身では何物でもなく源は他にあることを、少しも気づかずにいた。そして、カトリック教会がその僧侶《そうりょ》の軍隊や修道会を備えて、ひそかに国民の血管中にはいり込んで病毒を伝播《でんぱ》させ、反対者のあらゆる活力を絶滅さしてるのと同じく、反カトリックのこの教会の方でも、秘密結社員らを備えていて、その本部たるグラン・トリアンにおいては、敬虔《けいけん》なる密告者らがフランスの四方から毎日送ってくる秘密通信を、残らず帳簿に書き取っていた。共和政府では、軍隊や大学や国家のあらゆる肢体《したい》を実は脅かしてる、それら乞食《こじき》坊主や理性の狂信者らの密偵を、内々奨励していた。そして、彼らが国家に仕えるふりをしながら、次第に国家に取って代わらんと目ざしてることを、少しも気づかなかったし、また国家が徐々に、パラゲーのジェズイット派のそれとほとんど選ぶところのない、無信仰的な神権政治へ進みつつあることを、少しも気づかなかった。
 クリストフはルーサンの家で、それら俗衆的使徒の数名に会った。彼らは皆いずれ劣らぬ拝物教徒であった。当時彼らは、法廷からキリストを追い出したことを歓喜していた。数個の木片を破壊したことで、すでに宗教そのものを破壊したと信じていた。カトリック教徒から奪ってきたジャンヌ・ダルクやその聖母の旗を、独占してる者らもあった。この新しい教会の長老の一人、他の教会のフランス人らと戦っていた一人の将軍は、ヴェルキンゲトリックスを称揚して反僧侶的な演説を試みた。自由思想派が銅像をささげたこのガリアの首領が、平民の子であったことを祝し、ローマに(ローマ教会に)対抗したフランスの第一人者だったことを祝した。ある海軍大臣は、艦隊を浄化しカトリック派を憤慨させるため、戦闘艦にエルネスト[#「エルネスト」に傍点]・ルナン[#「ルナン」に傍点]という名をつけた。また他の自由精神の人々は、芸術を純化せんとつとめていた。彼らは十七世紀の古典文学を抹殺《まっさつ》し、また神の名でラ・フォンテーヌの物語を汚すことを許さなかった。昔の音楽についても同じくそれを許さなかった。クリストフが実際聞いたところによると、ある過激派の老人――(年を取って過激なのは馬鹿の骨頂だ[#「年を取って過激なのは馬鹿の骨頂だ」に傍点]、とゲーテは言った)――は、ベートーヴェンの宗教的な歌曲[#「歌曲」に傍点]が通俗音楽会のうちに加えられてることを、ひどく憤慨していた。彼はその歌詞を変えよと要求していた。
 なおいっそう過激な他の人々は、あらゆる宗教的音楽とそれを教える学校とを、そっくり廃止してしまうことを望んでいた。このベネチアでアテネ人だと見なされてるある美術学校の校長は、やはり音楽家らに音楽を教える必要があることを、つとめて説明したけれど甲斐《かい》がなかった。彼は説いた。「兵営に送られた一兵卒は、銃の操法や射撃法を徐々に教えられる。年若い作曲家についても同様である。頭には無数の観念が湧《わ》いているが、その分類はまだ行なわれてはいない。」そして彼は、自分の勇気にみずから恐れて、一句ごとにくり返した。「私は老いたる自由思想家である……私は老いたる共和主義者である……。」それから彼は大胆に次のことを宣言した。「ペルゴレージの作が歌劇であるかミサ曲であるかを知るのは、重要なことではない。それが人間的な芸術の作品であるかどうかを知るのが、肝腎《かんじん》である。」――しかし相手の一徹な論理は、この「老自由思想家」へ、「老共和主義者」へ、答え返した。「二種の音楽があるのだ、すなわち教会堂で歌われる音楽と、他の場所で歌われる音楽と。」第一のものは理性と国家との敵であった。そして国家的理性はそれを廃止すべきであった。
 これらの馬鹿者どもは皆、危険な人物というよりもむしろ滑稽《こっけい》な人物と言うべきであった。しかしながらただ、彼らの背後には真に価値ある人々が隠れていた。この人々は彼らの支柱となっていて、彼らと同じく――おそらく彼ら以上に――理性の狂信者であった。トルストイはどこかで、宗教や哲学や政治や芸術や科学などを支配してる、かかる「伝染的影響」のことを述べている。「人はかかるばかげた影響の狂愚さを、それから脱した時にしか認めない。それに服従してる間は、いかにもそれを真実だと思って、論議する必要をも考えない。」それはまったく、チューリップにたいする熱愛、妖術《ようじゅつ》者にたいする信仰、文学様式の変態などと同じものだった。――理性の宗教はそういう狂愚の一つだった。最も愚昧《ぐまい》な者にも最も教養ある者にも、議院の有象無象にも大学の最も賢明なるある人々にも、等しく感染していた。そして愚者におけるよりも智者においてさらに危険だった。なぜなら、愚者においては平穏な遅鈍な楽天思想とよく調和して、力をゆるめられていたからである。ところが智者の方においては、その弾力は緊張され、狂信的な悲観思想によって刃が鋭くなされていた。この悲観思想は、自然と理性との根本的な敵対を少しも見誤ることがなく、邪悪な自然にたいする、抽象的な自由、抽象的な正義、抽象的な真理、などの戦いをますます激しくならしむるのみだった。そこには、カルヴィン派式の、ジャンセニスト式の、ジャコバン式の、理想主義の根底があり、人間の救うべからざる堕落にたいする古い信仰があった。それを破り得るものは、また破るべき務めを持ってるものは、ただ、心中に理性――神の精神――が吹き渡ってる選ばれたる人々の、動かしがたい傲慢《ごうまん》性のみであった。それはきわめてフランス人の典型だった。「人間的」でない知的なフランス人だった。鉄のように堅い小石、何物もそれを貫くことができない。それは触れるものすべてを破損させる。
 クリストフはアシル・ルーサンの家で、それら理屈的な狂人の数人と話をして、非常に驚かされた。フランスに関する彼の考えは、そのために覆《くつが》えされた。彼は一般に伝えられてる意見どおりに、フランス人とは円満な社交的な寛大な自由好きな民衆だと、これまで信じていた。ところが今、自家独特な三段論法の犠牲に他のすべてをいつでも供さんとしてる、抽
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