象的観念の狂人、論理の病人を、見出したのであった。彼らはたえず自由のことを口にしていたが、最も自由を了解せず最も自由に堪えきれぬ人々だった。知的熱情のために、もしくは常に理性を失うまいとしてるために、これほど冷淡な苛酷《かこく》な専制的性格になってる者は、世界のどこにも見出されないほどだった。
それはただ一党派のことだけではなかった。どの党派も同じことだった。彼らは、自分の祖国の、自分の地方の、自分の団体の、自分の狭い頭脳の、政治的もしくは宗教的の形式以外には、何物も見ようとしなかった。そのうちには反ユダヤ主義者らがいた。あらゆる財産上の特権者らにたいする激しい憎悪のうちに、全身の力を費やしつくしていた。なぜなら彼らは、あらゆるユダヤ人を憎んでいたし、自分の憎むあらゆる者をユダヤ人だと呼んでいた。また国家主義者らがいた。他のあらゆる国民を憎み――(ごく温和な時には軽蔑《けいべつ》するだけで満足していたが)――自国民のうちにおいてさえ、自分らと同じ考えをしない人々を、外国人だの変節漢だの叛逆《はんぎゃく》者だのと呼んでいた。また反新教徒らがいた。すべての新教徒らはイギリス人かドイツ人かであると信じ、それを皆フランスから駆逐しようと欲していた。また西方主義者らは、ライン河以東には何物も認めようとしなかった。北方主義者らは、ロアール河以南には何物も認めようとしなかった。南方主義者らは、ロアール河以北の者を野蛮人だと呼んでいた。その他、ゲルマン民族たることを光栄としてる人々、ゴール民族たることを光栄としてる人々、そして最も狂愚なのは、父祖の敗亡を誇りとしてる「ローマ人」ら。あるいはまた、ブルトン人、ローレン人、フェリブル人、アルビジョア人。それから、カルパントラスの者、ポントアーズの者、カンペル・コランタンの者。いずれも皆自分自身をしか認めず、自分であることを貴族の肩書とし、他人が異なった意見をもつことを許さなかった。この種の人間にたいしては施す術《すべ》がない。彼らはいかなる理屈にも耳を貸さない。自分以外の全世界を焼きつくすか、自分が焼かれるか、いずれかのほかはないのである。
かかる民衆が共和政体にあるのは仕合わせなことだと、クリストフは考えた。それら小さな専制者らは、たがいに滅ぼし合っていたからである。もし彼らの一人が国王になっていたとすれば、他のだれにも十分の空気は残されなかったであろう。
理屈癖の民衆にも、彼らを救う一つの長所――矛盾|撞着《どうちゃく》――があることを、クリストフは知らなかった。
フランスの政治家らもその例に漏れなかった。彼らの専制主義は無政府主義で緩和されていた。彼らはたえず一方の極端から他の極端へと移っていた。左方において思想の狂信者らにすがるならば、右方においては思想の無政府主義者らにすがっていた。彼らの周囲にはいつも、享楽的な社会主義者やくだらない猟官連の群れが見えていた。こういう連中は、勝利にならないうちは用心して戦闘に加わらないで、いつも自由思想家軍のあとについて行き、その勝利のあとには毎回、敗北者らの遺留品を奪い合った。理性の選手らが努力していたのは、理性のためにではなかった……かくも汝努むれど[#「かくも汝努むれど」に傍点]、そは汝自身のためならず[#「そは汝自身のためならず」に傍点]……。それはこの一所不住の利用者らのためにであった。彼らは自国の伝統を喜んで蹂躙《じゅうりん》するが、一つの信仰を破壊してそのあとへ他の信仰をすえるの意志はなく、そのあとへ自分自身をすえようとばかりしていた。
クリストフは、リュシアン・レヴィー・クールがこの仲間であることを認めた。リュシアン・レヴィー・クールが社会主義者だと聞いてもあまり驚きはしなかった。社会主義の成功が確かなので、リュシアン・レヴィー・クールはそれに加担したのだと、単純に考えた。しかし、リュシアン・レヴィー・クールが反対党の陣営にも同じく顔出しをするような策を取ってるのを、彼は今まで知らなかった。レヴィー・クールはそこで、政治および芸術上の最も反自由思想家たる人々と、反ユダヤ主義の人々とまで、うまく交誼《こうぎ》を結んでいた。クリストフはアシル・ルーサンに尋ねた。
「どうしてあなたはあんな男を仲間にしておくのですか。」
ルーサンは答えた。
「なかなか才があるですからね。それに彼はわれわれのために働いてくれてるんです。旧世界を破壊してくれてるんです。」
「破壊しているのは私もよく知っています。」とクリストフは言った。「しかしあまりよく破壊するので、なんで建て直したらいいかわからなくなりはしませんか。あなたの新しい家のために彼が十分の材料を残してくれるだろうと、あなたは信じていられるのですか。あなたの普請《ふしん》場にはもう虫がくいこんでいますよ……。」
社会主義をむしばむ者はリュシアン・レヴィー・クールのみではなかった。社会主義の新聞にはこの種の小文士がいっぱい群がっていた。彼らは|芸術のための芸術《ラール・プール・ラール》の味方であり、贅沢《ぜいたく》を事とする無政府主義者であって、成功へ至り得る道をすべて占領していた。彼らは他人の道をさえぎり、民衆の機関だと言われる新聞に、おのれの頽廃《たいはい》的な享楽主義と生存競争との匂《にお》いを満たしていた。彼らは地位だけで満足しなかった。栄誉までも求めていた。にわか造りの銅像や、石膏《せっこう》細工の天才の前での演説が、これほど多い時代はかつて見られなかった。仲間の偉大なだれかへ周期的に、光栄の居候《いそうろう》どもが饗宴《きょうえん》をささげていた。それも彼の功業が一つ成った機会にではなく、勲章を一つ授けられた機会においてであった、なぜなら、彼らが最も感動するのは勲章だったから。耽美《たんび》主義者、超人、居留外国人、社会主義の大臣、などが皆一致して、あのコルシカの将校が制定したレジオン・ドヌールへの叙勲を祝賀していた。
ルーサンはクリストフの驚きを面白がった。彼はこのドイツ人が自分の仲間をあまりに酷評してるのだとは思わなかった。彼自身もクリストフと二人きりになると、彼らを容赦なく批判した。彼はだれよりもよく彼らの愚劣さや策略を知っていた。とは言うものの、彼らの支持を得るために彼らを助けてやらなければならなかった。なおまた、親しい談話のうちでは軽蔑《けいべつ》的な言葉で民衆のことを平気に論じても、一度議政壇上に立つと彼は別人の観があった。頭から出る声を張り上げ、鼻にかかった打ちおろすような厳《おごそ》かな鋭い調子になり、顫音《せんおん》や鈍重な音を出し、羽ばたきのような震えがちの広い大きな身振りをした。彼はまったくムーネー・シュリーの芝居を演じていた。
ルーサンがいかなる程度まで社会主義を信じているかを、クリストフは解き明かそうと努めた。心底において彼が信じていないことは明らかだった。彼はあまりに懐疑的だった。それでも彼は思想の一部分では信じていた。自分でもそれが一部分にすぎない――(そしておそらく最も重要な部分ではないだろう)――ことをよく知ってはいたが、それでも生活や行為をそれに従って規定していた。なぜならその方が便宜であったから。それは実際上の利害からばかりでなく、また生活的利害、存在および行動の理由からでもあった。社会主義の信仰は彼自身にとっては一種の国家的宗教だった。――大多数の人は彼と同じような生き方をしてるものである。内心では信じてもいないところの、宗教的信仰、道徳的信仰、社会的信仰、もしくは純粋に実際的な信仰――(自分の職業や自分の仕事や人生における自分の役目の有用さなどにたいする信仰)――そういうものの上に彼らの生活は立てられている。しかし彼らは内心では信じていないということをみずから知りたがらない。なぜなら、そういう信仰の様子、各人がみずからその教師たる公然の宗旨が、生きんためには必要であるから。
ルーサンは最も下等なうちの一人ではなかった。この党派では実に多くの者が、社会主義もしくは急進主義を「やって」いた――それも、野心からとも言えないほどのものだった。それほど彼らの野心は短見浅慮で、直接の利益と再選との範囲を出でなかった。彼らは新しい社会を信ずるようなふりをしていた。おそらくかつて信じたことがあったのだろう。しかし実際は、死にかかってる社会の遺物によって生活しようとしか考えていなかった。近視的な便宜主義が享楽的な虚無主義に仕えていた。未来の大利害は現在の利己主義にささげられていた。彼らは軍隊の減員を行なっていた。選挙人の意を迎えるためには祖国の四|肢《し》を断つかもしれなかった。彼らに欠けてるのは知力ではなかった。彼らはなすべきことをよく知っていた。しかしそれを少しもなさなかった。なすには多くの努力がいるからだった。彼らはおのれの生活と国民の生活とを、最少の労力で整えようと欲していた。社会の上下を通じて、できるかぎり快楽を多くして努力を少なくせんとする同一の道徳が支配していた。かかる不道徳な道徳が、多難な政治を導いてゆく唯一の糸であった。そこでは、首領らが無政府の実例を示していた。不統一な政策が一時に十|兎《と》を追って、途中でそれを一つ一つ取り逃がしていた。平和主義の陸軍省と相並んでる好戦的な外交、軍隊を刷新せんがためにかえって破壊してる陸軍大臣、造兵職工らを反乱さしてる海軍大臣、戦争の恐怖を説いてる軍事教官、道楽的な将校、道楽的な裁判官、道楽的な革命者、道楽的な愛国者。一般にわたる政治道徳の堕落であった。各人は国家から、職務や手当や勲位を授かることばかり待っていた。そして実際に国家は、それを顧客らにかならず振りまいていた。権力者の子や甥《おい》や縁故の者や部下などに、名誉と仕事とをおごってやった。議員らは歳費の増額をみずから投票していた。財産や地位や肩書など国家のあらゆる資源が、ほしいままに濫費されていた。――そして、上層の実例の痛ましい反響として、下層には怠業が起こっていた。祖国にたいする反抗を教える小学教員、手紙や電報を焼く郵便局員、機械の歯車仕掛けに砂や金剛砂を投げ込む工場職工、造兵廠《ぞうへいしょう》を破壊する造兵職工、焼かれる船舶、労働者自身の手によってなされる恐るべき労働の浪費――富者の破壊ではなく、世界の富の破壊であった。
この仕事を確認するために、選ばれたる知者らが、民衆のこの自殺的行為を、幸福にたいする神聖なる権利という名において、理性と権利との上に立脚せしめて喜んでいた。病人めいた人道主義は、善悪の差別を無視し、罪人の「責任なき神聖なる」人そのものにたいして憐憫《れんびん》の情を寄せ、罪悪の前に平伏して罪悪に社会を委《ゆだ》ねていた。
クリストフはこう考えた。
「フランスは自由というものに酔っている。狂乱を演じたあとで酔い倒れてしまうだろう。そして眼を覚《さ》ます時には、拘留所にぶち込まれてるだろう。」
この過激民主政のうちで、最もクリストフの気を害したことは、明らかに根底の不確実な連中によって最も悪い政治的暴逆が冷やかになされるのを、目撃することであった。かかる浮薄な徒輩と、彼らがなしもしくは許してる苛酷《かこく》な行為との間には、あまりに厚かましい不均衡が存在していた。彼らのうちには二つの矛盾したものがあるようだった。すなわち何物をも信じない不安定な性質と、何物にも耳を傾けずにただ人生をかき回す理屈癖の理性と。種々の方法でいじめつけられてる平和な市民やカトリック教徒や将校などが、なぜ彼らを放逐しないのかしらと、クリストフは怪しんだ。そして彼は何にも隠すことができなかったので、ルーサンは容易に彼の考えを推知した。ルーサンは笑い出して言った。
「もちろんそれは、君か僕か、とにかくわれわれがやることでしょう。しかし彼らにはなかなかやれはしない。少しの断固たる決心もできない憐《あわ》れな奴どもです。ただ答え返すのがうまいばかりです。倶楽部《クラブ》のために馬鹿《ばか》になり、アメリカ人やユダヤ人に身を売
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