ないということである。一人の上品な老人が、獣使いのような身振りで、ワグナーの一幕を指揮していた。不幸な獣――その一幕――は、ちょうど見世物の獅子《しし》に似ていた。脚燈の火に触れはすまいかと狼狽《ろうばい》しているが、一方では鞭《むち》打たれて、無理にも獅子だということを思い起こさせられているのである。物知りげな女たちや無神経な娘たちが、唇《くちびる》に微笑を浮かべて見物していた。獅子がうまく芸当をやり、獅子使いが敬礼をして、両方とも見物の喝采《かっさい》に報いられたあとに、グージャールはなおクリストフを、三番目の音楽会へ連れて行こうとした。しかしこんどは、クリストフは椅子《いす》の肱掛《ひじかけ》から両手を離さないで、もう動くのは嫌《いや》だと言ってのけた。ここでは交響曲《シンフォニー》の切れ端を、あすこでは協奏曲《コンセルト》の断片を、通りがかりに聞きかじりながら、音楽会から音楽会へと駆け回るのは、もうたくさんだった。グージャールはいたずらに、パリーでの音楽批評は聴《き》くより見る方が主要な仕事だと、説明してやろうと試みた。クリストフはそれに抗弁して、音楽は辻《つじ》馬車の中で聴く
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