ゃ僕には何にもできない……。」
 彼はクリストフの顔つきと今にも破裂しそうなその様子とにますます脅かされて、あわてて言いだした――(彼は根は悪い男ではなかった。吝嗇《りんしょく》と見栄とが彼のうちで争っていた。クリストフに恵んでやりたくはあったが、なるべく安価に済ましたかった。)
「五十フランばかりでどうだい。」
 クリストフは真赤《まっか》になった。恐ろしい様子でディーネルの方へ歩み寄った。ディーネルは急いで扉《とびら》のところまでさがり、それを開いて、人を呼ぼうとした。しかしクリストフは、充血した顔を彼にさしつけただけで我慢した。
「豚め!」と彼は鳴り響く声で言った。
 彼はディーネルを押しのけ、店員らの間を通って、外に出た。敷居のところで、嫌悪《けんお》の唾《つば》をかっと吐いた。

 彼は街路を大跨《おおまた》に歩いていった。怒りに酔っていた。その酔いも雨に覚《さ》まされた。どこへ行くのか? それを彼は知らなかった。知人は一人もなかった。考えようと思って、ある書店の前に立ち止まった。そして棚《たな》の書物を、見るともなくながめた。ある書物の表紙に、出版屋の名前を見てはっとした。
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