を言うつもりであって、悪口を言うつもりではなかった。しかしクリストフは曲解した。彼は答え返そうとした。しかしコーンが先に口を出した。
「ですけれど、」と彼はヘヒトへ言った、「私だけは音楽を少しも知らないことを、認めていただきたいものですね。」
「それはあなたの名誉ですよ。」とヘヒトは答えた。
「音楽家でないことをあなたが喜ばれるなら、」とクリストフは冷やかに言った、「残念ですが私はもう用はありません。」
ヘヒトはやはり横を向きながら、同じ無関心な調子で言った。
「あなたは音楽を書いたことがあるそうですね。何を書きましたか。もとより歌曲《リード》でしょう?」
「歌曲《リード》と、二つの交響曲《シンフォニー》と、交響詩や、四重奏曲や、ピアノの組曲や、舞台音楽などです。」とクリストフはむきになって言った。
「ドイツではたくさん書くものですね。」とヘヒトは軽蔑《けいべつ》的なていねいさで言った。
この新来の男が、そんなにたくさんの作品を書いていて、しかも自分ダニエル・ヘヒトがそれを知らないだけに、彼はなおいっそう疑念をいだいていた。
「とにかく、」と彼は言った、「あなたに仕事を頼んでもいいです、友人のハミルトンさんの推薦があるので。ただいまちょうど青年叢書[#「青年叢書」に傍点]という叢書《そうしょ》物を作っています。たやすいピアノの曲を出すのです。で、シューマンの謝肉祭[#「謝肉祭」に傍点]を簡単にして、四手や六手や八手に直すことを、あなたにしてもらえましょうか。」
クリストフは飛び上がった。
「そんなことをさせるんですか、僕に、僕に!……」
その率直な「僕に」という言葉に、コーンは面白がった。しかしヘヒトは気分を害した様子をした。
「あなたの驚く訳が私にはわからない。」と彼は言った。「そうたやすい仕事ではないですよ。やさしすぎるように思われるなら、なお結構です。今にわかることです。あなたはりっぱな音楽家だと自分で言ってるし、私もそう信ずべきですが、しかし、要するに私はあなたを知りません。」
彼は心の中でこう思っていた。
「こんな元気な奴の口ぶりでは、まるでヨハネス・ブラームスよりりっぱなものが書けるとでもいうようだ。」
クリストフは返辞もしないで――(怒りを押えようと誓っていたからである)――頭に深く帽子をかぶり、そして扉《とびら》の方へ進んでいった。コーンは笑いながらそれを引き止めた。
「待ちたまえ、まあ待ちたまえ!」と彼は言った。
そしてヘヒトの方へ向いた。
「あなたに判断してもらうために、ちょうど作品を少しもって来てるんです。」
「そう、」とヘヒトは迷惑そうに言った、「では拝見しましょうか。」
クリストフは一言も言わないで、原稿を差し出した。ヘヒトはぞんざいに眼を注いだ。
「なんですか、ピアノ組曲[#「ピアノ組曲」に傍点]――(読みながら)一日[#「一日」に傍点]……ああやはり表題楽ですね……。」
彼は無関心を装いながらも、深い注意を払って読んでいった。彼はりっぱな音楽家で、自分の職業に明るかった。がもとよりそれ以上には出ていなかった。彼は初めの小節を少し読むや否や、相手の真価をすっかり感じた。そして軽蔑《けいべつ》的な様子で楽譜をめくりながら、口をつぐんでしまった。楽譜の示してる才能にひどく心を打たれた。しかし元来の無愛想さのために、またクリストフのやり方に自尊心を害されていたために、それを少しも示さなかった。彼は一つの音符をも見落とさないで、黙って終わりまで読んだ。
「なるほど、」と彼は保護者的な調子でついに言った、「かなりよく書けている。」
激しい非難の方がクリストフにはもっと癪《しゃく》にさわらなかったかもしれない。
「そんなことを言ってもらう必要はありません。」と彼は激昂《げっこう》して言った。
「それでも、」とヘヒトは言った、「この曲を見せる以上は、私の考えを聞くためではないですか。」
「いやちっとも。」
「そんなら、」とヘヒトはむっとして言った、「あなたが何を求めに来たのか私にはわからない。」
「僕は仕事を求めに来たので、他のことは求めません。」
「先刻言った仕事以外には、当分やっていただきたいこともありません。あの仕事にしても、たしかにお頼みするかどうかわからない。お頼みするかもしれないと言っただけです。」
「他に方法はないのですか、僕のような音楽家を使うのに。」
「あなたのような音楽家ですって?」とヘヒトは侮辱的な皮肉の調子で言った。「少なくともあなたに劣らないほどのりっぱな音楽家で、そういう仕事を体面にかかわると思わなかった人がいくらもあります。いちいち名を指《さ》してもいいですが、今パリーで名を知られてるある人たちは、かえってそれを私に感謝していました。」
「それは彼らが卑劣だからだ
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