ァン・コーンはその奇警な逆説を人に言い伝え誇張していたのだった。)――クリストフは人々の興味をひくだけで、少しもその邪魔にはならなかった。彼はだれの地位をも奪いはしなかった。一派の大立物となることも、彼一人の思いのままだった。何にも書かないでもよいし、もしくはできるだけわずかしか書かないでもよいし、ことに自分の作を少しも人に聞かせなくても済むし、グージャールみたいな連中に思想を供給してやるだけで十分だった。この連中は有名な言葉を格言としていた――ただ少しそれを修正して。

 私の杯《さかずき》は大きくはないが、しかし私は……他人の杯[#「他人の杯」に傍点]で飲む。

 強い性格は、行動するよりもむしろ感ずることの方が多い青年らにたいして、ことにその光輝を働かせるものである。クリストフの周囲には青年が乏しくはなかった。一般にそれらの青年は、閑《ひま》な連中で、意志もなく、目的もなく、存在の理由をも有せず、勉強の机を恐れ、自分一人になるのを恐れ、肱掛椅子《ひじかけいす》にいつまでもすわり込み、自分の家に帰って自分自身と差し向かいになることを避けるためには、あらゆる口実を設けながら、珈琲店や芝居をうろつき回っていた。彼らは無味乾燥な談話に加わりに来、そこに腰を落ち着け、幾時間もぐずついていた。ようやく立ち上がる時には、胃袋が妙にふくれきり、胸糞《むなくそ》の悪い気持になり、飽き飽きしながら物足りなくて、もっとつづけたくもあればまたつづけるのが厭《いや》でもあるのだった。そういう青年らがクリストフを取り巻いていた。あたかも、生命にすがりつくために一つの魂へ取りつこうとうかがってる「待ち伏せの怨霊《おんりょう》」、ゲーテのいわゆる尨犬《むくいぬ》、のようであった。
 虚栄心の強い馬鹿者なら、そういう寄生虫の取り巻き連中を喜んだかもしれない。しかしクリストフは偶像の真似《まね》をしたくなかった。そのうえ、彼がなしてることのうちに、ルナン式の、ニーチェ式の、ローズ・クロア的な、雌雄両性的の、へんてこな意向があると思ってるそれら賛美者らの、馬鹿《ばか》げきった生意気さに彼はぞっとした。彼は皆を追っ払ってしまった。彼は受動的な役目を演ずべき人間ではなかった。彼のうちではすべてが行動を目的としていた。彼は理解せんがために観察していた。そして行動せんがために理解したがっていた。偏見の拘束を受けないで、彼はすべてを調べ、音楽に関しては、各国各時代の思想の形式や表現の方法を、ことごとく研究していた。そして真実だと思われる点は、皆取り用いていた。彼が研究していたフランス芸術家らは、新式の巧みなる発明者で、たえず発明することに苦心し、しかもその発明を中途で放擲《ほうてき》してしまうのであったが、彼はそれと異なって、音楽の言葉を改新することよりもむしろ、それをさらに力強く話すことにつとめていた。彼は珍奇でありたいとは少しも心掛けなかったが、力強くありたいと心掛けていた。そういう熱烈な気力は、繊巧と適宜とのフランス精神とは反対だった。様式のための様子を、その気力は軽蔑《けいべつ》していた。彼にとっては、フランスの優良な芸術家らも贅沢《ぜいたく》品職工のように思われた。パリーの最も完全な詩人の一人は、「各自の商品や生産品や見切品を付した現代フランス詩壇の労働表」をこしらえて面白がっていた。そして、「玻璃《はり》製の大燭台《だいしょくだい》、東方諸国の織物、金や青銅の記念|牌《はい》、未亡人用の透かしレース、彩色彫刻、花模様の陶器」など、仲間のたれ彼の工場からこしらえ出されるものを、列挙していた。彼自身もまた、「文芸の大製作所の片隅《かたすみ》に、古い絨緞《じゅうたん》を繕ったり廃《すた》れた古代の鎗《やり》をみがいたり」してるところを示していた。――手工の完成をのみ注意してる、かかる良職工観みたいな芸術家観にも、美が存しないではなかった。しかしそれはクリストフを満足させなかった。彼はそこに職業的威厳を認めはしたが、それが懐抱する生命の貧弱さを軽蔑していた。彼には書くために書くということが考えられなかった。彼は言葉を言いはしないで、事柄を言っていた――言いたがっていた。

 彼らは事柄を言えど汝《なんじ》らは言葉を言うのみ……。

 クリストフの精神は、新しい世界を吸収するだけの休息の時期を経た後に、にわかに創作の欲求にとらえられた。パリーと自身との間に感ぜられる反対性は、彼の個性を際《きわ》だたせながら彼の力を倍加せしめた。ぜひとも自己表現を求める熱情の溢漲《いっちょう》であった。その熱情は各種のものだった。彼はそのすべてから、同様の激しさで刺激された。彼は作品をこしらえ出して、心に満ちている愛情やまたは憎悪《ぞうお》を放散せざるを得なかった。また、意志をも忍諦
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