ほうじゅう》な料理店だったが、それでもこれら二百万人の食欲を満足させるに足りなかった。三十余の大劇場、その他四方にある小劇場、奏楽珈琲店、種々の見世物――毎晩興行して毎晩ほとんど満員となる有余の小屋。多数の役者や事務員。政府の補助を受けてる四大劇場だけでも、三千人近くの専属人員と、千万フラン余の費用。大根役者の人気ばかりで湧《わ》きたってるパリー全市。一歩ごとに眼に触れるものは、彼らのしかめ顔を示してる、無数の写真や絵や漫画、彼らの鼻声を示してる蓄音器、芸術や政治に関する彼らの意見を掲げてる新聞。彼らはそれぞれ自分の新聞をもっていた。大胆な立ち入った覚え書きを発表していた。人|真似《まね》をして時間をつぶす遊惰な大子供たるパリー人中で、それらの完全な猿《さる》どもが牛耳《ぎゅうじ》を取っていた。そして劇作家らは、彼らの侍従となっていた。クリストフはシルヴァン・コーンに、反映と影との王国へ案内してくれと頼んだ。
しかしシルヴァン・コーンは、書物の世界におけると同じく、この世界においても安全な案内者ではなかった。クリストフが彼のおかげによって、パリーの芝居から受けた最初の印象は、最初の読書から受けた印象に劣らず不快なものであった。頭脳的|売淫《ばいいん》の同じ精神が、至るところに支配してるようであった。
この快楽の商人のうちに、二派あった。その一つは、おめでたい旧式で、国民式であって、無遠慮な賤《いや》しい快楽、醜悪や貪欲《どんよく》や肉体的欠陥などの喜び、半裸体の人々、兵卒小屋の冗談、羹物《あつもの》や赤|胡椒《こしょう》や油の乗った肉や特別室――ふざけきった四幕のあとで、事件の錯綜《さくそう》によって、欺こうとしてる夫の寝床に正妻がはいるようなことになって、法典の勝利をもたらすがゆえに――(法律が救わるれば美徳も救われるというのだ)――彼らの言葉に従えば、卑猥《ひわい》と道徳とを和解させんとする「男らしい淡泊《たんぱく》さ」――結婚に淫蕩《いんとう》の様子を与えながら結婚を保護する放逸な貞節さ――いわゆるゴール風なのであった。
他の一派は、近代式[#「近代式」に傍点]であった。前者よりはるかに精練されてるとともに、またより嫌味《いやみ》なものであった。パリー化されたユダヤ人ら(およびユダヤ化されたキリスト教徒ら)が芝居にうようよはいり込んで、衰退した世界主義の特徴たるいつもの感情の陰謀を、芝居に導き入れていた。父祖を恥じてる息子《むすこ》どもが、民族の意識を打ち消さんとつとめていた。そしてうまく成功していた。古臭い自分らの魂を赤裸になした後、彼らに残ってる性格と言えば、他民族のあらゆる知的道徳的価値を混ぜ合わせるということばかりだった。彼らは諸種の民族で、一つのマケドニア人を、一つの雑炊[#「雑炊」に傍点]を、作り上げていた。それが彼らの享楽方法だった。パリーの芝居の頭《かしら》立った人々は、汚辱と感情とをこね合わせること、美徳に悪徳の匂いを与えること、悪徳に美徳の匂いを与えること、年齢や性や家族や愛情の諸関係をかき回すこと、などに秀《ひい》でていた。かくて彼らの芸術は、それ独特の[#「独特の」に傍点]臭みをもっていた。その臭みは、よいとともに悪いもので、言い換えれば、ごく悪いものだった。彼らはそれを「非道徳主義」と名づけていた。
彼らが当時好んで用いていた主人公の一人は、恋してる老人であった。彼らの芝居には、そういう老人の姿がたくさん並んでいた。彼らはそういう類型的人物を描写するに当たって、機微にわたる多くの事柄を並べたてていた。あるいは、六十歳にもなる主人公が、自分の娘を腹心の友としていた。彼は娘に自分の情婦のことを話し、娘は彼に自分の情人らのことを話した。二人は親しく相談し合った。親切な父は娘の不品行を助けた。親切な娘は父の不貞な情婦に近づいて、もどって来てくれるように懇願し、家へ連れ込んできた。あるいは、りっぱな老人が自分の情婦の内密話の相手になっていた。彼は彼女の情人らのことを彼女と噂《うわさ》し、彼女の放逸の話を懇望し、ついにはそれに愉快をさえ感ずるようになった。それからまた、情人らも出て来るのであった。皆りっぱな紳士であるが、昔の情婦たちの雇い監督となり、彼女らの取り引きや情交などを監視した。社交界の婦人は盗みを事としていた。男子は媒介人であり、娘は淫猥《いんわい》だった。すべてそれらのことは、上流社会、富裕な階級――唯一の有力な階級、においてであった。そういう社会においては、腐敗した商品を華美の魅惑に包んで、客に提供することができるからであった。かく扮装《ふんそう》して市場に立ち現われると、若い女や年取った男どもが、それを非常に喜んだ。屍体《したい》と後宮の臙脂《えんじ》との匂いが、そこから発散していた
前へ
次へ
全97ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング