それらの作品は、シルヴァン・コーンなどの連中に賛成を求めてはいなかった。それらは彼らを念頭においてはいなかったし、彼らもそれらを念頭においてはいなかった。両方ともたがいに知らなかった。シルヴァン・コーンはかつて、そういう作の噂《うわさ》をクリストフにしたことがなかった。彼は自分や自分の友人らがフランス芸術を代表してるのだと、真面目《まじめ》に思い込んでいたし、自分らが偉人だと認めた者以外には、才能もなく、芸術もなく、フランスもないと、思い込んでいた。クリストフは、フランス文芸の名誉たりフランスの王冠たる詩人らについては、なんらの知るところもなかった。ただ数人の小説家だけが、パレスとアナトール・フランスとの数冊の書が、凡庸《ぼんよう》の潮の上に浮き出して彼の手に達した。しかし彼はまだフランス語に十分慣れていなかったので、後者の博識な皮肉、前者の頭脳的官能主義を、十分味わうことができなかった。それでも、アナトール・フランスの温室の中に萌《も》え出てる橙樹《オレンジ》の鉢植《はちう》え、パレスの魂の墓地にのぞき出てる繊細な水仙花《すいせんか》、それらの前に彼はしばらく足を止めて珍しげにながめた。また、メーテルリンクのやや崇高でやや幼稚な天才の前にも、しばらく足を止めた。世俗的な単調な一つの神秘主義がそれから発散していた。彼ははっと飛びのいて、こんどは太い急湍《きゅうたん》の中に、前から知っていたゾラの泥《どろ》深い浪漫主義《ロマンチズム》の中に、落ち込んでいった。それから出たかと思うと、文学の大|氾濫《はんらん》の中にすっかりおぼれてしまった。
水に浸ったそれらの平野からは、女の匂い[#「女の匂い」に傍点]が立ちのぼっていた。当時の文学には、女性的男子と女子とがいっぱい群がっていた。――もし女が、いかなる男もかつて完全に見て取り得なかったものを、すなわち女性の魂の奥底を、描写するだけの誠実を有するならば、女が文筆を執ることは結構である。しかしごく少数者のみがそれをなし得るのであって、大多数の女はただ男をひきつけんがためにのみ書いていた。彼女らはその客間におけると同じく、書物の中においても虚言者であった。くだらない化粧に凝り読者と戯れていた。自分のちょっとした不都合を語るべき聴罪師をもたなくなってからは、それを公衆に語っていた。無数の小説が現われた。ほとんどいつも不貞なもので、いつも様子ぶったもので、舌たるい言葉で書かれ、香水店の匂《にお》いのする言葉で、気のぬけた温かい甘い異臭のある言葉で書かれていた。その匂いが文学全体の中にこもっていた。クリストフはゲーテと同じように考えた。「婦人には思うまま詩や小説を作らせて構わない。しかし男子は女のようなことを書いてはいけない。そういうことをする男子こそ、俺《おれ》は嫌《きら》いだ。」その中途半端な愛嬌《あいきょう》振り、そのいかがわしい仇《あだ》っぽさ、最もつまらない人物のために好んで費やされるその感傷風、気取りと粗暴とでこね上げられたその文体、それらの野卑な心理学者を、彼は嫌悪《けんお》の情なしには見ることができなかった。
しかしクリストフは、自分にはよく判断できないことを知っていた。彼は言葉の市場から来る喧騒《けんそう》に耳を聾《ろう》していた。笛の美しい節《ふし》は喧騒の中に消え失《う》せて、聞き取ることができなかった。というのは、快楽を主としたそれらの作品の間にも、底の方に、アッチカのなだらかな丘陵の線が清澄な空に微笑《ほほえ》んでいないでもなかった。――多くの才能と優美、生の楽しみ、文体の美しさ、または、ペルジノや若いラファエルの手に成った、半ば眼を閉じて恋の夢想に微笑んでいる憂わしげな青年にも似寄った思想。しかしクリストフにはそれが少しも見えなかった。精神の諸流を、何物も彼に示してはくれなかった。フランス人自身でも、それを知るのは困難であったろう。そして、彼が確かに見て取り得た唯一のことは、著作の過多という一事だった。あたかも社会的災難とも言えるほどだった。男も女も将校も俳優も紳士も囚人も、すべての者が筆を執ってるかのようだった。まったく一つの流行病だった。
クリストフは意見をたてるのを一時断念した。シルヴァン・コーンのような案内者についていると、まったく道に迷ってしまうかもしれないような気がした。ドイツにおいてある文学会から得た経験にてらしてみると、どうも自信がもてなかった。書物や雑誌にたいして疑惑があった。それらは多くの閑人《ひまじん》どもの意見だけを代表してるものでないかどうか、あるいはただ作者だけの一人よがりでないかどうか、それがわからなかった。芝居の方がずっと正確に、社会の実情を伝えてくれるのだった。芝居はパリーの日常生活中に、法外な場所を占めていた。それは放縦《
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