か。まあこれを見てみたまえ。」
 彼は芸術と道徳とに関する最近の調査を、クリストフに示した。調査の結果によれば、「恋愛はすべてを神聖にす、」「肉欲は芸術の酵母なり、」「芸術は不道徳たり得ず、」「道徳は偽善的教育によって注入せられたる因襲なり、」ただ「大なる欲望」のみが問題である、などということになるのであった。――遊蕩《ゆうとう》者の風俗を描いたある長編小説の純潔さが、どの新聞を見ても、多くの文学者の書信によって証明されていた。回答者のうちには、文学の大家や謹厳な批評家などがあった。通俗で旧教的なある家庭詩人は、ギリシャの悪習のごく細密な描写に、芸術家としての祝福をささげていた。ローマ、アレキサンドリア、ビザンチン、イタリーおよびフランスの文芸復興、大世紀……などの各時代を通ずる放逸のありさまを勤勉に細叙してある小説に、多くの叙情的な称賛の辞が浴びせられていた。それらの小説には放逸の変遷が何一つ省かれていなかった。また他の一群の研究は、世界各国を包含していた。細心な作者らは、聖ベノア修道会員のような忍耐をもって、世界五か所の遊蕩《ゆうとう》場の研究に身をささげていた。それらの快楽の地理学者や歴史家らのうちに、秀《ひい》でた詩人やりっぱな著作家が現われていた。人々が彼らを他人と区別してるのは、ただその博識によってばかりだった。彼らは完璧《かんぺき》な措辞をもって、古代の遊蕩を語っていた。
 最も驚くべきことには、りっぱな人々や真の芸術家らが、フランス文芸界において正当な名声を博してる人々までが、まったく不適当なこの仕事に努力していた。ある人々は他人をまねて、朝刊新聞が切り売りする卑猥《ひわい》なものを書こうと苦心していた。彼らはそれを、一週に一、二回、きまった日に規則正しく生み出していた。しかもすでに数年来引きつづいてることだった。彼らはもう何も言うことがなくなっても、でたらめな無作法な新しいものを頭からしぼり出しながら、やたらに生み出してばかりいた。公衆は食べすぎて、いかなる料理にも飽いてしまい、やがて、最も淫蕩《いんとう》な快楽の想像をもつまらなく思うようになっていた。それでただ競《せ》り上げを、永久の競り上げ――他人よりもまさり自分自身よりもまさろうとする――を、なさなければならなかった。そして彼らは自分の血をしぼり出し、自分の臓腑《ぞうふ》をしぼり出していた。それは痛ましいまた奇怪な光景であった。
 クリストフは、そういうあさましい職業の内幕に通じていなかった。もし通じていても、そのために大目に見てやりはしなかったであろう。なぜなら彼から見れば、銀三十枚のために芸術を売る芸術家ほど、世に許しがたいものはなかったから……。
 ――愛する人々の生活を確かにしてやるためにでも、いけないのか。
 ――いけない。
 ――それは人情がないというものだ。
 ――人情があることが問題じゃない。一個の人間たることが問題なのだ。……人情だって!……毛色の変わった君らの人情こそ、憐《あわ》れなものだ。……人は同時に多くのものを愛するものではない、多くの神に仕えるものではない!……
 クリストフは、勤労な生活をしているうち、自分の小さなドイツの町の地平線から、ほとんど外に出たことがなかったので、パリーに展開されてる芸術上の腐敗は、ほとんどすべての大都会に共通のものであるということを、気づき得なかったのである。そして、「ラテンの不道徳」にたいする「貞節なるドイツ」の遺伝的偏見が、彼のうちに目覚《めざ》めていた。それでもシルヴァン・コーンはシュプレー河畔に起こっている事柄を、強暴なる性質のためにその醜事がさらに嫌悪《けんお》すべきものとなっている、ドイツ帝国の選良階級の恐るべき腐敗を、クリストフの説にりっぱに対向せしめ得るはずであった。しかしシルヴァン・コーンはそれを利用しようとは思わなかった。彼はパリーの風俗に平気であるごとく、ベルリンの風俗にも平気であった。「各民衆にはそれぞれの風習があるものだ、」と彼は皮肉な考え方をして、周囲の社会の風習を自然なものだと思っていた。それを見てクリストフは、それらの風習は民族本来の性質であるとまで考えた。ゆえに彼は同国人らと同じように、ヨーロッパの精神的貴族社会を呑噬《どんぜい》しつつある腐食のうちに、フランスの芸術に固有な悪徳を、ラテン諸民族の欠点を、見て取らずにはいられなかった。
 パリーの文学とのこの初めの接触は、彼には心苦しいものだった。後にその心苦しさを忘れるまでには、多少の時間がかかった。とは言えそれらの著作家の一人が、「基礎的娯楽の趣味」と高尚な名前をつけてるもの、それにばかり関係してるのではないような作品も、ないではなかった。しかしその最もりっぱな最もよい作品は、クリストフの眼には触れなかった。
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