分を害したかを彼は怪しんだ。彼女に尋ねてまでみた。彼から気を悪くさせられたのでは決してないと、彼女は強く答えた。しかしやはり彼から遠ざかっていた。数日後に、立ち去る由を彼に告げた。暇を取ってしまったので、出て行こうとしてるのであった。冷やかな取り澄ました言葉で、彼から受けた好意の礼を言い、彼の健康と彼の母親の健康とを祈り、そして別れの挨拶《あいさつ》を述べた。彼はその唐突《とうとつ》な出立《しゅったつ》にびっくりして、どう言っていいかもわからなかった。彼女がそんな決心をした動機を知ろうと試みた。彼女は一時のがれの返辞をした。彼は落ち着く先を尋ねた。彼女は答えを避けた。そして、彼の質問をうち切るために、室を出ていった。戸口で彼は手を差し出した。彼女はその手を少し強く握りしめた。しかしその顔は何物も示さなかった。そして最後まで、彼女は堅い冷たい様子を失わなかった。彼女は立ち去った。
彼は少しも訳がわからなかった。
冬が長くつづいた。湿った靄《もや》のかけた泥《どろ》深い冬。日の光を見ない数週間。クリストフは快方に向かっていたが、まだ全快はしなかった。やはり右の胸に痛いところが残ってい、病根は徐々にしか癒《い》えてゆかず、神経的な咳《せき》の発作が起こって、夜はそのために眠れなかった。医者は外出を禁じていた。それだけにまた、コート・ダジュールやカナリー島への転地なら大賛成だったろう。しかしクリストフは外出しなければならなかった。食事をしに出かけなければ、食事の方からやって来てはくれなかった。――また種々の薬も命ぜられたが、彼にはその代価を払う方法がつかなかった。それで彼は医者にかかるのをやめてしまった。まったく無駄《むだ》使いに終わるの思った。そのうえ彼はいつも医者と気が合わなかった。両者はたがいに理解することができなかった。それは相反した二つの世界だった。自分一人で一つの世界だとうぬぼれながら、人生の河から藁屑《わらくず》のように押し流されてる、この憐れな芸術家めにたいして、医者たちの方では、皮肉な多少軽侮的な憐憫《れんびん》の情をいだいていた。彼はそういう奴《やつ》らから、ながめられ触《さわ》られ取り扱われるのを屈辱のように感じていた。彼は病気の身体が恥ずかしかった。彼はこう考えていた。
「こいつ[#「こいつ」に傍点]が死んだらどんなにうれしいだろう!」
孤独
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