ン、コントラバス……などを指揮し演奏し、熱狂的にひき吹き打ちたたいた。不幸なる彼は胸に納めた音楽で沸騰していた。数週間以来音楽を聞くことも演奏することもできなかったので、高圧を加えられた汽鑵《きかん》のように爆発しかけていた。若干の執拗《しつよう》な楽句は、螺錐《ねじきり》のように頭脳へはいり込んで、鼓膜を貫き、彼に苦悩の唸《うめ》きをたてさせた。それらの発作が済むと、彼はまた枕《まくら》に身を落して、疲れきり、汗にまみれ、息をあえぎつまらした。寝床のそばに水差を置いといて、ごくりごくりと飲んだ。隣室の物音や、屋根室の扉《とびら》の音にも、ぴくりと震え上がった。周囲にぎっしり住んでる人々にたいして、幻覚的な嫌悪《けんお》の念をいだいた。しかし彼の意志はなお闘《たたか》いつづけ、悪魔にたいする戦いの、進軍ラッパを吹奏していた……。「世に悪魔満ち渡り[#「世に悪魔満ち渡り」に傍点]、われわれを[#「われわれを」に傍点]呑噬《どんぜい》せんとするとも[#「せんとするとも」に傍点]、あに恐るることがあろうぞ[#「あに恐るることがあろうぞ」に傍点]……。」
そして、彼の一身を流し去る燃える闇《やみ》の大洋上に、風の合い間の凪《なぎ》が、晴れ間の光が、ヴァイオリンやヴィオラの和らいだ囁《ささや》きが、トランペットやホルンの栄光ある穏やかな音が、突然響いてきて、それとともに彼の病める魂からは、ヨハン・セバスチアン・バッハの聖歌のような確固たる歌が、大なる壁のごとくほとんど不動の勢いで、起こってくるのであった。
かくて、熱の幻や胸をしめつける息苦しさなどと戦ってるうちに、室の扉《とびら》が開かれて、一人の女が手に蝋燭《ろうそく》をもってはいって来るのを、彼はぼんやり意識した。彼はそれをも幻覚だと思った。口をきこうとした。しかしそれができないでまた身を落した。時おり、深い底から表面へ意識の波に連れもどされる時に、だれかが枕元《まくらもと》を高めてくれたのを、足に夜具をかけてもらったのを、背中にたいへん熱いものがあるのを、彼は感じた。あるいはまた、まったく見知らぬ顔のその女が、寝台の足下にすわってるのを、彼は見て取った。次には、別の顔が、医者が、やって来て聴珍をした。クリストフには彼らの言葉が聞き取れなかった。しかし、自分を病院に入れようとしてるのだと察した。彼は言い逆らってみた
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