を出した。また、面白くないことを示すには、そのやさしい顔を軽蔑《けいべつ》的につき出した。それらのかわいらしい顔つきのうちには、人から見られてると知ってる時ほとんどだれでもしずにはいられないような、無邪気な道化《どうけ》た様子が交っていた。また彼女は時とすると、真面目《まじめ》な楽曲の間、しかつめらしい表情をつとめることもあった。そして横顔を向け、聴《き》きとれてるふりをし、頬《ほお》に微笑を浮かべながら、彼から見られてるかどうかを横目でうかがっていた。二人はかつて一言もかわしたことがなく、出る時いっしょになろうとつとめたことも――(少なくともクリストフの方は)――なかったが、それでもごく親しい友だちとなっていた。
 ついに偶然にも、ある晩の音楽会で、二人は相並んだ席についた。ちょっとにこやかなためらいのあとで、親しく話を始めた。彼女は美しい声をもっていた。音楽について愚劣なことをたくさんしゃべった。少しも理解がないくせに通がっていたのである。しかし音楽を非常に好んでいた。最悪のものと最良のものとを、マスネーとワグナーとを好んでいた。退屈するのは凡庸《ぼんよう》なものにばかりだった。彼女にとっては音楽は一つの快楽であった。ダナーエが金色の雨を飲むように、全身の毛穴から音楽を吸い込んでいた。トリスタン[#「トリスタン」に傍点]の前奏曲では息絶えんばかりになった。英雄交響曲[#「英雄交響曲」に傍点]では、あたかも戦利品のように自分が運び去られるのを楽しんだ。ベートーヴェンが聾で唖だったことをクリストフに教え、それでももしベートーヴェンを知ったら、どんなに醜男《ぶおとこ》でも自分は彼を愛したはずだと言った。ベートーヴェンはそんなに醜男《ぶおとこ》ではなかったと、クリストフは抗弁した。そして二人は、美と醜とについて議論した。すべては趣味によるのだと彼女は説きたてた。一人に美しいものも他の者には美しくない。「人間は金貨ではない。万人の気に入るものではない。」――クリストフは彼女が口をきかない方を好んだ。その方が彼女の心がよくわかった。イゾルデの死[#「イゾルデの死」に傍点]の間、彼女は彼に手を差し出した。その手は汗ばんでいた。彼はそれを曲が終わるまで自分の手に握りしめた。彼らは組み合わした指を通して、その交響曲の波が流れるのを感じた。
 二人はいっしょに外へ出た。十二時に近か
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