ではあるまい。クリストフは、快楽を唯一の目的とし信条《クレド》としてる四海一家的な社会を軽蔑《けいべつ》していた。――もちろん、幸福を求め、人間のために幸福を欲し、また、ゴートのキリスト教から二十世紀間人類の上に積み重ねられてる、弱気な悲観的な信仰を撲滅することは、いいことには違いない。しかしそれは、他人の幸福を欲する寛大な信念であるという条件においてでなければならない。さもなくんばなんであろう。最も憐《あわれ》むべき利己主義のみではないか。他人が苦しむのを平然と看過しながら、自分の官能へは最小の危険で最大の快楽を与えようと求むる、享楽家どもばかりではないか。――そうだ確かに、彼らの客間《サロン》的社会主義は人の知るとおりのものである。……しかし、彼らの快楽的主義主張は、彼らと同様な「脂肪」の徒、肥満の「選良」にとってのみ価値あるのであって、貧しい人々にとっては害毒であるということを、彼らはだれよりもよく知らないのであろうか?……
「快楽の生活は富者の生活である。」

 クリストフは少しも富者でなかったし、また富者となるために努めもしなかった。多少の金を手に入れると、すぐにそれを音楽上のことに費やしてしまった。食物を節してまで音楽会に行った。シャートレー座の一番上階の下等席を占めて、音楽の中に没頭した。彼にとってはそれが御馳走《ごちそう》や情婦の代わりとなった。幸福にたいする渇望と幸福を享楽する能力とを多分にもっていたので、そこの管弦楽の不完全さにも心を乱されなかった。彼は二、三時間もじっと恍惚《こうこつ》のうちに浸っていて、誤った趣味や間違った音に出会っても、ただ寛大な微笑をもらすのみだった。批評なんか戸外に置きっ放しにしておいた。愛するために来たのであって、批判するために来たのではなかった。彼の周囲の聴衆も、彼と同じく半ば眼を閉じたままじっとして、夢想の大きな流れに身を任していた。逸楽と殺戮《さつりく》との幻覚を胸にはらんでる巨大な猫《ねこ》のように、内に思いを潜めながら影の中にうずくまってる民衆の姿を、クリストフは眼に見るような気がした。金色の濃《こま》やかな薄闇《うすやみ》の中に、種々の面影が怪しくも浮き出してきた。その見知らぬ魅力と無言の喜びとが、クリストフの眼と心とをひきつけた。彼はそれらの面影に執着し、その方へ耳を澄ました。そしてついには、身も心もそれ
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