ごと一片の菓子パンとを送ってきて、それを自分のために食べてくれと言ってよこした。それはちょうどよい機《おり》に到着した。その晩クリストフは、断食と小斎日と四旬節の精進とがいっしょに来たような場合にあった。窓ぎわの釘《くぎ》につるした腸詰《ちょうづめ》はもう紐《ひも》だけしか残っていなかった。岩の上で烏《からす》に養われた聖《きよ》い隠士らに、クリストフは自分を比較してみた。しかしすべての隠士を養うのは、この烏にとってたいへん骨の折れることだったに違いない。烏はもうふたたびやって来なかった。
それらの困難にもかかわらず、クリストフは元気を失わなかった。盥《たらい》の中でシャツを洗ったり、鶫《つぐみ》のように口笛を吹きながら靴《くつ》をみがいた。ベルリオーズの言葉でみずから慰めた。「生活の困苦を超越して、あの名高い怒りの日[#「怒りの日」に傍点]の快活な歌を、軽やかな声で、くり返し歌おうではないか……。」――クリストフも時々それを歌った。近所の人々はうるさがったが、彼が中途で歌をやめてふいに大笑いするのを聞くと、呆気《あっけ》に取られてしまった。
彼は厳格に清浄な生活をしていた。「色男の生活は閑人《ひまじん》や金持の生活である」とベルリオーズが言ったとおりだった。困窮、日々のパンの追求、過度の節食、創作熱などは、快楽を思う隙《ひま》をも趣味をも、彼に残さなかった。彼は快楽にたいして無関心なばかりではなかった。パリーにたいする反発から、一種の精神的禁慾主義に陥っていた。純潔にたいする熱烈な要求とあらゆる醜汚にたいする嫌悪《けんお》の情とをもっていた。と言って彼は、情熱に襲われないのではなかった。ある時には情熱にとらわれることがあった。しかしそれらの情熱は、彼がそれに屈服した時でさえもやはり清浄だった。なぜなら、彼はその中に快楽を求めてるのではなくて、自我の絶対的傾倒と一身の豊満とを求めていたから。そして彼は、自分の誤りを見て取ると、憤然として情熱を投げ拾てていた。淫逸《いんいつ》は彼にとって、別に罪悪ではなかった。生命の泉を汚すものこそ大なる罪悪であった。キリスト教的の古い素地が他の後来物の下に全然埋もれてしまってはいない人々、今日でもなお強健な人種の子孫だとみずからを感じてる人々、勇ましい規律を守《まも》って西欧の文明を建設した人々、彼らはクリストフを理解するに困難
前へ
次へ
全194ページ中164ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング