楽句の断片を思いついてもそれを書くことさえできないような、富裕な音楽愛好家らがあった。彼らはクリストフを呼んで、その苦心の曲を歌ってきかした。
「どうです、いいでしょう!」
 彼らは彼に頼んで、それを展開させ――(そっくり書かせ)――自分の名前で大|書肆《しょし》から出版さした。するともうその楽曲全体を自分の作だと思い込むのであった。クリストフはそういう連中の一人をよく知っていた。世に知名の紳士であって、落ち着きのない大きな身体をし、すぐに彼へ親しい呼びかけをし、彼の腕をとらえたりして、騒々しい感激の辞を浴びせかけ、冗談をささやき、取り留めもないことや厚かましいことをしゃべりたて、それといっしょに、ベートーヴェン、ヴェルレーヌ、オフェンバッハ、イヴェット・ギルベール……などという心酔の叫びを交えた。彼はクリストフに仕事をしてもらったが、金を払うことは閑却していた。食事に招いたり握手をしたりすることで報酬を済ましたつもりでいた。最後にようやく二十フラン送ってきた。クリストフは馬鹿《ばか》げた贅沢《ぜいたく》心を起こして、その金を送り返してしまった。その日彼は、幾何《いくばく》も懐《ふところ》にもっていなかった。それにまた、母へ手紙を出すのに二十五サンチームの切手を買わなければならなかった。年老いたルイザにとってはちょうど祝い日だった。クリストフはぜひとも手紙を出したかった。善良な彼女は息子《むすこ》の手紙を非常に頼りとしていて、それなしで済ますことができないほどだった。彼女は手紙を書くのが骨折れたけれども、この数週間は、彼よりもしばしば書き送っていた。寂しさに苦しんでいた。しかしクリストフのところへ、パリーまでやって来ることは決心しかねた。彼女はあまり気が小さく、その小さな町や教会堂や住居などに執着しすぎていて、旅を恐《こわ》がっていた。それにまた、たとい彼女が来ることを望んでも、クリストフには彼女を養うだけの金がなかった。彼は自分一人で毎日を過ごすだけの金ももたなかった。
 ある時、クリストフにとって非常にうれしかったのは、ロールヘンからの贈り物であった。ロールヘンというのは若い田舎《いなか》娘で、この娘のために彼はプロシャの兵士らと喧嘩《けんか》をしたのだった(第四巻反抗参照)。彼女は結婚する由を彼に知らしてきた。また彼の母の消息を告げてくれ、一|籠《かご》のりん
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