れてることであり、満ちあふれて流れてることである。フランスにおいては、音楽はパストゥール式|濾過器《ろかき》によって、ていねいに口をふさいだ瓶《びん》の中に、一滴ずつ集められている。そして無味な水ばかり飲んでいるそれらの連中は、ドイツ音楽の大河にたいして嫌悪《けんお》の感をいだいている。彼らはドイツ精神の欠点をいちいち拾い上げるのである!
「憐《あわ》れなる小人輩よ!」とクリストフは、先ごろ自分自身も同様に笑うべきものであったことを思い出さないで考えていた。「彼らはワグナーやベートーヴェンのうちにも欠点を見出している。彼らには欠点のない天才が必要なのかもしれない。……あたかも、嵐《あらし》は吹き荒れても、事物のりっぱな秩序を少しも乱すまいと努める、とでもいうかのように!……」
 彼は自分の力に欣喜《きんき》しながらパリーの中を濶歩《かっぽ》した。理解されなくとも結構だ。その方がかえって自由だろう。創造するのは天才の役目であるが、内心の法則に従って有機的に組み立てられた完全な一世界を創造するには、すっかりその中に生きなければならない。芸術家は孤独でありすぎるということは決してない。恐るべきことは、自分の思想を鏡に映してその変形され縮小されたものを見ることである。自分のなさんとすることは、なし遂げないうちに他人に漏らしてはいけない。そうしなければ最後までやり遂げる勇気がなくなるだろう。なぜなれば、その時自分のうちに見えるのは、もはや自分の思想でなくて、他人の惨《みじ》めな思想であろうから。
 今や何物も彼の夢想を乱しに来るものはなかった。その夢想は、彼の魂のあらゆる隅々《すみずみ》から、彼の進路のあらゆる石ころから、泉のようにほとばしり出ていた。彼は幻覚者のような状態に生きていた。すべて見るもの聞くものは、実際に見聞きするものとは異なった人物事物を、彼のうちに喚起さしてくれた。ただ生きてさえいれば、自分の周囲至るところに、作中人物の生活が見出された。その感覚の方から彼を捜しにきてくれた。通りがかりの人の眼、風がもたらす一の声音、芝生《しばふ》の上に落ちてる光、リュクサンブールの園の木の間にさえずる小鳥、遠くで鳴る修道院の鐘、青ざめた大空、室の奥から見える空の片隅、一日の種々の時間における物音と色合い、それらを彼は自分のうちに認めはしないで、夢想の人物のうちに認めた。――
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