にか切りぬけてゆけるものだ……。」
 彼はヨハン・セバスチアン・バッハの魂の大洋が怒号するのを聞いた。※[#「風にょう+(火/(火+火))、第3水準1−94−8]風《ひょうふう》、吹き荒れる風、飛び去る人生の暗雲――喜悦や悲痛や憤怒《ふんぬ》に酔った諸々《もろもろ》の民衆、その上に翔《かけ》る、温和に満ちたキリスト平和の主宰者――その足音で世界を揺がす聖なる婚約者の前に、歓喜の叫びを発して飛び歩いてる、夜警らの声で眼を覚ます、諸々《もろもろ》の都市――思想、熱情、音楽的形象、勇荘な生活、シェイクスピヤ式の幻覚、サヴォナロラ式の予言、または皺《しわ》寄った眼瞼《まぶた》と挙げた眉《まゆ》との下に輝いてる小さな眼をもち、二重頤《ふたえあご》をもった、チューリンゲンの少年歌手のいじけた身体にこもっている、牧歌的な叙事詩的な黙示録的な幻影、などの驚くべき貯蔵……。彼はその姿をありありと見た。陰気で、溌剌《はつらつ》として、多少|滑稽《こっけい》で、比喩《ひゆ》と象徴とがいっぱいつめ込まれた頭脳をもち、ゴチック的でまたロココ的で、怒《おこ》りっぽく、頑固《がんこ》で、清朗で、生命にたいする熱情と死にたいする郷愁とをそなえている……。彼はその姿を学校の中に見た。嗄《しゃが》れ声のきたない粗野な賤《いや》しい疥癬病《かいせんや》みの生徒らの中に交って、衒学《げんがく》的な天才はだの風貌《ふうぼう》をしているが、それらの悪童どもと口論し、時としては土方みたいになぐり合い、ある者から打ち倒されることもある……。彼はその姿を家庭の中に見た。二十一人の子どもにとり囲まれていて、そのうち十三人は彼より前に死に、一人は白痴であるが、その他は皆りっぱな音楽家で、彼に小音楽会を催してくれる……。疾病《しっぺい》、埋葬、苦々《にがにが》しい論争、困窮、世に認められない天才、――そしてことに、その音楽、その信仰、解放と光明、垣間《かいま》見られ予感され欲求され把握《はあく》された喜悦、――神、彼の骨を焼き毛を逆立たせ口から雷鳴を発せしむる神の息吹《いぶ》き……。おお力よ、力よ! 力の多幸なる雷電よ。
 クリストフは息を凝《こ》らしてその力を飲み込んだ。ドイツ人の魂から流れ出るこの音楽の偉力の恩恵を、彼は感じた。往々平凡で粗野でさえもあるが、そんなことはなんの関係があるか? 肝要なのは、それが満ちあふ
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