を片づけ清潔にするよりは、むしろ腕をこまねいて、自分の仕事を委《ゆだ》ねていた、主人に、当時の神に――普通選挙に。
実のところ、少し以前から、当時の無政府的無気力さにたいして、反動の気運が起こっていた。ある真面目《まじめ》な人々は公衆の衛生を目的とした戦いを――まだごく微弱なものではあったが――企てていた。しかしクリストフは、自分の周囲にそういう様子を少しも見出さなかった。そのうえ、人は彼らに耳を貸さなかった、もしくは彼らを嘲笑《あざわら》っていた。時々ある強健な芸術家が、一般にもてはやされる芸術の不健全な愚劣さにたいして、反抗の気勢を示すと、その作者らは傲然《ごうぜん》として、公衆が満足してる以上は自分らの方が正当だと答え返した。非難の口をつぐませるにはそれで十分だった。公衆がそう言ったのだ。それは芸術の最上の審判なのだ! そして、公衆を腐敗さした人々のためにする腐敗した公衆の立証は、拒否してかまわないこと、また、芸術家は公衆に命令するためにあるものであって、公衆が芸術家に命令するものではないこと、それにはだれも思い及ばなかった。数――客と収入額との数――にたいする崇拝が、この商売人化された民主主義の芸術観を支配していた。作者らのあとについて、批評家らも従順に、芸術品の本務は人を喜ばすことだと、宣言していた。成功が掟《おきて》であった。成功がつづく間は平伏するのほかはなかった。かくて批評家らは、快楽の相場の変動を予知しようと、作品にたいする公衆の意見をその眼色で読み取ろうと、つとめていた。またおかしなことには、公衆の方でも、作品をどう考えていいかを、批評家の眼色で読み取ろうとつとめていた。そして両方から眼を見合わしていた。しかもたがいの眼の中には、自分自身の不決断が見て取られるばかりだった。
けれども、大胆な批評が最も必要な場合であった。無政府的共和国にあっては、万能である流行が、保守的な国におけるように退転することは、めったにあるものではない。流行は常に前進してゆく。そして精神的|似而非《えせ》自由が、たえずせり上がってゆく。それにはほとんどだれも抵抗しようとしない。群集は本音を吐くことができない。心の底では不快を感じているが、しかしだれもあえて、自分がひそかに感じてることを言い得ない。ここでもし批評家が強かったならば、あえて強くあり得たならば、いかなる権威
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