さえ言った。何事かを肯定してあとですぐにそれを否定しないのは、あるいは少なくともそれに疑問をつけないのは、上品なやり方ではないということを、それらの柔惰な者どもはルナンから教え込まれていた。「常に然り然りであり[#「常に然り然りであり」に傍点]、その次に否々である[#「その次に否々である」に傍点]、」と聖パウロが評したような人物に、ルナンは属していた。フランスの選良な人々は皆、この水陸|両棲《りょうせい》的な信条に心酔していた。精神の遊惰と性格の柔弱とは、それをいいことにしていた。彼らはもはや一つの作品について、良いとも悪いとも、真だとも嘘《うそ》だとも、賢いとも愚かだとも、言わなくなった。彼らはこう言った。
「そうかもしれない……そうでないとも言えない……俺《おれ》にはわからない……俺はごめんこうむろう。」
もし淫猥《いんわい》な芝居が演ぜられていても、「これは淫猥だ、」とは彼らは言わなかった。彼らはこう言った。
「スガナレルさん、どうかそういう言い方は変えてください。私どもの哲学によると、なんでも不確実に言わなければなりません。それですから、『これは淫猥だ、』と言ってはいけません。『私には……どうも、これは淫猥のように思われる。……しかし、確かにそうだというのではない。あるいは傑作であるかもしれない。傑作でないとはだれにも言えない。』と言わなければいけません。」
そこにはもはや、芸術にたいして暴慢だとの咎《とが》めを受ける危険はなかった。昔、シルレルは彼らに教えをたれたことがあった。彼は当時の雑誌新聞記者らを、用捨もなくけちな暴君と呼んで、次の事柄を頭に入れさした。
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婢僕《ひぼく》の本分
何よりもまず、女王の出御される家が、きれいになっていなければいけない。気をつけて、室々を掃除《そうじ》せよ。そのために諸君はここにいるのだ。
しかし女王が出御されたならば、すぐに退《さが》ってしまえ。女王の椅子《いす》に、召使|風情《ふぜい》が腰をおろしてはいけない。
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ところが、現今の批評家どもは許してやらなければならなかった。彼らはもはや女王の椅子に腰掛けてはいなかった。婢僕たることを求められたので、すなわち婢僕となっていた。――しかし悪い婢僕だった。彼らは少しも掃除しなかった。室は散らかっていた。彼らは室
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