フ[#「タルチュフ」に傍点]やフェードル[#「フェードル」に傍点]について議論をつづけていた。それに少しも飽きることがなかった。老人になってからも、子どもの時に面白がった同じ冗談に笑っていた。民族がつづく最後までそのとおりかもしれなかった。およそ世界のいかなる国でも、祖先崇拝の情をかほど根深く維持してるものはなかった。宇宙のうちで祖先以外の他の部分は、彼らになんらの興味をも起こさせなかった。いかに大多数の者が、フランスにおいて大王の御代において書かれたもの以外は、何一つ読んでいなかったし、何一つ読みたがらなかったことだろう! 彼らの芝居には、ゲーテも、シルレルも、クライストも、グリルパルツェルも、ヘッベルも、ストリンドベリーも、ローペも、カルデロンも、他国のいかなる偉人の作も、演ぜられていなかった。ただ古代ギリシャの物だけは別だった。彼らは古代ギリシャの後継者だと自称していた――(ヨーロッパのあらゆる国民と同様に)またごくまれにシェイクスピヤを取り入れたがっていた。それは試金石だった。彼らのうちには演戯上の二派があった。一方では、エミル・オージエの劇のように、通俗的な写実主義をもって、リヤ王[#「リヤ王」に傍点]を演じていた。他方では、ヴィクトル・ユーゴー式の声太な勇ましい調子で、ハムレット[#「ハムレット」に傍点]を歌劇《オペラ》にしていた。現実も詩的であり得ること、生命にあふれた心にとっては詩も一の自発的言語であること、などを彼らは思い及ばなかった。そしてシェイクスピヤは虚偽のように思われて、また急いでロスタンに立ちもどっていた。
 けれどもこの二十年来、芝居を改革するために努力が尽くされていた。パリー文学の狭い範囲は広げられていた。大胆を装《よそお》ってすべてに手が触れられていた。外部の変動が、一般の生活が、恐ろしい力で慣習の幕を押し破ったことも、二、三度あった。しかしながら、その裂け目はまた急いで縫い合わされた。ありのままに事物を見ることを恐れてる、気の小さな父親らであった。社会の精神、古典的伝統、精神と形式との旧習、深い真摯《しんし》の欠乏、などは彼らをして、その大胆な試みを最後まで押し進めることを許さなかった。最も痛切な問題も巧みな遊戯となった。そしていつも帰するところは婦人――つまらない婦人――の問題であった。イプセンの勇壮な無秩序、トルストイの福音、
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