からなかった。したがって、民族の特性がつかめなかった。十七世紀の悲劇くらい彼にわかりにくいものはなかった。それはちょうどフランスの中心に位しているがためにかえって、外国人にとっては最も近づきがたいフランス芸術の田舎《いなか》だった。クリストフから見ると、それはたまらなく退屈なもので、冷淡乾燥で、嬌媚《きょうび》や衒学《げんがく》を事としてる嫌味《いやみ》なものだった。貧弱なあるいは無理な筋の運び、修辞学の議論みたいに抽象的な、あるいは社交婦人の会話みたいに実のない人物。古い主題と主人公との漫画。理性と理屈と空論と心理と時代|後《おく》れの考古学との陳列。議論に議論に議論、フランス流のはてしない饒舌《じょうぜつ》。それがりっぱであるかどうかを、クリストフは皮肉にも判断することを拒んだ。彼はそういうものに少しも興味を覚えなかった。シンナ[#「シンナ」に傍点]の演説者らによって代わる代わる主張される問題がたといなんであろうと、それら議論機械のいずれが最後に勝利を占めるかは、彼にとってまったく無関係だった。
 そのうえ彼は、フランスの観客が自分と同意見でないこと、たいへん喝采《かっさい》してることを、見て取ったのである。しかしそれは、彼の誤解を一掃する役にはたたなかった。彼は観客を通じて芝居を見ていた。そして、古典者流のある変形した特質を、近代フランス人のうちに認めた。あまりに明徹な眼が、婀娜《あだ》な老婦人のしぼんだ顔のうちに、その娘の純粋な顔だちを見て取るがようなものだった。そういう観察は、恋の幻を生ぜしむるにはあまり適しないものである……。たがいに顔を見馴《みな》れてる一家族の人々のように、フランス人はその類似さに気づかないでいた。しかしクリストフはそれにびっくりして、それを誇張していた。もはやその類似をしか眼に止めなかった。現代の芸術は、偉大な祖先の漫画を示しているように思われた。そして偉大な祖先自身も、彼の眼には漫画として映じた。崇高な荒唐無稽《こうとうむけい》な心境を至るところにもち出そうと熱中してる、末流の詩的修辞家らと、本物のコルネイユとを、彼はもはや区別しなかった。またラシーヌも気障《きざ》な態度で自分の心をのぞいてるパリーの群小心理家らの末流と、混同して考えられた。
 それらの老書生らは、少しも古典芸術の外に踏み出さなかった。批評家らは際限もなくタルチュ
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