然の力が感ぜられることはかつてなかった。彼らはすべてを世間風になした、恋愛も苦悶《くもん》も死をも。また音楽におけると同じように――フランスにおいてはまだ年若い比較的|素朴《そぼく》な芸術である音楽におけるよりも、さらにはなはだしく――彼らは「すでに言われたこと」にたいして恐怖をいだいていた。最も天分に富んだ詩人らは、逆の道を取ろうと冷静に努めていた。その方法は簡単だった。伝説か童謡かを選んで、それらに本来の意味と正反対なことを語らした。かくて、青髭《あおひげ》はその妻たちから打たれ、ポリフェモスはみずから善意をもって眼をえぐって、アシスとガラテアとの幸福のために身を犠牲にした。すべてそれらのもののうちには、形式以外にはなんらの真面目《まじめ》さもなかった。クリストフ(彼はよく理解してない批判者であったろうけれど)の眼から見れば、それら形式の大家らは、おのれの文体を創造して縦横に描写する大作家というよりも、むしろ小作家であり模造大家であるように思われた。
 彼らの勇武劇の中には、詩的虚偽がこの上もなく横柄《おうへい》に現われていた。彼らは英雄というものについて、滑稽《こっけい》な観念をいだいていた。

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壮大なる魂、鷲《わし》の眼差《まなざし》、
前廊の如く広く高き額《ひたい》、
魅力ある輝かしき剛壮なる風貌《ふうぼう》、
戦《おのの》きに満てる心、夢に満てる眼、
そを持つこそ肝要なれ。
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 かかる詩句が真面目《まじめ》に受け取られていた。大袈裟《おおげさ》な言葉や羽根飾り、ブリキの剣と厚紙の兜《かぶと》とをつけた芝居がかりの空威張《からいば》り、そういう扮装《ふんそう》の下にはいつも、操《あやつ》り人形のギニョル式に歴史をもてあそんでる無謀なヴォードヴィル作者サルドゥー流の、救済しがたい軽薄さが見て取られるのであった。シラノのごとき虚妄《きょもう》な勇武に相当するものが、現実にあり得るだろうか。しかもこの詩人らは、驚天動地の業《わざ》を演じていた。皇帝とその軍団、神聖同盟の軍勢、文芸復興期の傭兵《ようへい》など、宇宙を荒した人類の旋風をことごとく、その墳墓から引き出していた――それも、残虐な軍隊と囚《とら》われの婦女らに取り囲まれ、殺戮《さつりく》のさなかにあっても平然として、十年か十五年か前に見た一婦人にたいする、
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