だが、また自然からも罰せられるということを証明するのが、一編の主眼であった。それは実に容易なことだった。先夫がその女を不意に一度わが物にするようなふうに、作者はくふうしていた。そしてそのあとで、悔恨やおそらくは恥辱をも感ぜさせるとともに、それだけまたさらに強く、正直な男である第二の夫を愛したいという欲求を感ぜさせるはずの、ごく単純な自然の道を取らないで、作者は自然を無視した勇壮な心境を提出していた。自然を無視してなら有徳たることも訳はない。フランスの作家たちは、美徳ということにあまり慣れていないらしい。彼らは美徳の話をする時には、いつでも無理なこじつけ方をする。どうにも信じようがない。あたかもコルネイユの英雄を、悲劇の王様を、いつも取り扱っているかのようである。――それらの富裕な主人公や、少なくともパリーに一つの屋敷と田舎《いなか》に二、三の別邸とをもっているそれらの女主人公は、王様と同じではないだろうか? この種の作者にとっては、富裕は一つの美であり、ほとんど一つの美徳であるのだ。
 観客は脚本よりもさらに不思議だった。いかなる不真実さにも彼らは驚かなかった。面白い場所になって、笑わせるべき[#「べき」に傍点]文句を、笑う用意をする余裕を与えるために、俳優がまず予告しながら口にする時には、彼らは皆笑った。また悲劇人形どもが、在来の型に従って泣きじゃくったり喚《わめ》いたり気絶したりする時には、彼らは感動のあまり涙を流して、鼻をかんだり咳《せき》をしたりした。
「だからフランス人は軽薄だと言われるんだ。」とクリストフは芝居から出て叫んだ。
「何事でもすぐにわかるものじゃないさ。」とシルヴァン・コーンは快活に言った。「君は徳操を見たがってたが、フランスにも徳操があることはわかったろう。」
「あんなのは徳操じゃない、」とクリストフは言い返した、「ただ雄弁というものだ。」
「フランスでは、」とシルヴァン・コーンは言った、「芝居の徳操はいつも雄弁なんだ。」
「裁判所の徳操なら、」とクリストフは言った、「いちばん饒舌《じょうぜつ》な者が勝つにきまってるさ。僕は弁護士が嫌《きら》いだ。フランスには詩人はいないのか。」
 シルヴァン・コーンは彼を詩劇へ連れていった。

 フランスには詩人がいた。偉大な詩人さえもあった。しかし芝居は彼らのためのものではなかった。三文詩人のために存在
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