うやで、自分を賞賛してくれたりする時には、そういう友人をも許さなかった。彼らを満足させることは至難の業《わざ》だった。彼らの各人はついに特許の批評家を一人任命してしまった。その批評家が偶像の足下で細心に監視の眼を見張っていた。偶像は少しでも手を触れることが許されなかった。――彼らは仲間うちだけから理解されていたが、それでもよい理解を受けてるというわけにいかなかった。味方の意見や自分自身の意見によって、おもねられゆがめられて、自分の芸術および才能についての自覚をあやまっていた。愛すべき空想家も、みずから改革者だと信じていた。十二韻脚派の芸術家らも、ワグナーの敵をもって自任していた。ほとんどすべての者が、価値せり上げ競争の犠牲となっていた。前日飛び上がったのよりもさらに高く、ことに競争者が飛び上がったのよりもさらに高く、毎日飛び上がらねばならなかった。そういう高飛びの競争には、いつも成功するというわけにいかなかった。そしてそれも、ある職業人にとってしか興味がなかった。彼らは聴衆を念頭におかなかった。聴衆[#「聴衆」は底本では「聴集」]も彼らを念頭におかなかった。彼らの芸術は、公衆のない芸術であり、音楽と職業とだけでみずから養ってる音楽であった。しかるにクリストフは、真偽はともかくとして、フランスの音楽ほど他物の支持を必要としてる音楽は他にない、というような印象を受けた。他物にからんで伸びるこのしなやかな植物は、支柱なしに済ますことができなかった。すなわち文学なしに済ますことができなかった。自分自身のうちに十分の生活理由を見出していなかった。息が短く、血が少なく、意志がなかった。男子の手を待ってる弱り果てた女のようだった。しかし繊細な貧血的な身体をし宝石を飾りたててるこのビザンチンの皇后は、軽薄才子、美学者、批評家、などという多くの宦官《かんがん》にとり巻かれていた。ただ国民が音楽に通じていなかった。ワグナーやベートーヴェンやバッハやドビュッシーなどのために、二十年来騒々しく発せられていた熱狂の叫びも、一つの階級以外にはほとんど伝わっていなかった。音楽会の増加も、すべてを押し流す潮のような音楽熱も、公衆の趣味の実際の発達とはなんらの呼応がなかった。ただ選ばれたる人々にのみ触れて彼らを惑乱さしてる、過度の流行にすぎなかった。音楽はある一握りの人々からしかほんとうには愛されて
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