はいなかった。しかも、作曲家や批評家など最も音楽にたずさわってる者らが、いつもその数にはいるのでもなかった。真に音楽を愛する音楽家は、フランスにはいたって少ないのだ!
そういうふうにクリストフは考えていた。そして、どこもそのとおりだということ、ドイツにおいてさえ真の音楽家はそうたくさんないということ、芸術において重要なのは、無理解な多衆ではなくて、芸術を愛し矜《ほこ》らかな謙譲をもって芸術に奉仕する少数の者であること、などを彼はみずから考えなかった。そういう少数者を、彼はフランスにおいて見かけなかったのか? 創作家や批評家――フランスがなしたように、現今の作曲家中最も天分ある人々がなしてるように、喧騒《けんそう》を離れて黙々と勉《つと》めてるすぐれた人々、やがてはある新聞雑誌記者に、発見の光栄と味方だと称する光栄とを与えはするが、目下は生涯《しょうがい》闇《やみ》に埋もれている、多くの芸術家――なんらの野心もなく、自分自身のことも顧慮せず、過去のフランスの偉大さを築いている石を、一つずつほじくってる勤勉な学者や、あるいは、自国の音楽教育に身をささげて、来たるべきフランスの偉大さを準備してる勤勉な学者などの、少数の一団、それを彼は見かけなかったのか? もし彼が知り得たら心ひかれたに違いないような、宝と自由と普遍的な好奇とを有する精神が、いかばかりそこにあったことであろう! しかし彼は、そういう人々の二、三を、通りがかりにちらと見たにすぎなかった。彼が彼らを知ったのは、彼らの思想の漫画を通じてであった。芸術上の小猿《こざる》や新聞雑誌を渡り歩く小僧などによって、まねられ誇張せられた彼らの欠点をしか、彼は見なかったのである。
音楽上のそういう賤民《せんみん》らのうちにおいて、彼に悪感をことに起こさしたものは、彼らの形式主義であった。彼らの間においては、かつて形式以外のものが問題となったことがなかった。感情、性格、生命などについては一言も言われなかった。真の音楽家というものは、聴覚の世界に生きてること、その日々は音楽の波となって彼のうちに展開していること、などに気づく者は彼らのうち一人もなかった。真の音楽家にとっては、音楽は自分が呼吸する空気であり、自分を包む空である。彼の魂自身がすでに音楽である。彼の魂が愛し憎み苦しみ恐れ希《こいねが》うところのもの、そのすべてが音楽
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