ィル・グージャールとシルヴァン・コーンとは、ベレアスとメリザンド[#「ベレアスとメリザンド」に傍点]を聞かせるために、クリストフをオペラ・コミック座へ連れていった。二人は彼にその作を示すのを非常な光栄としていた。あたかも自分で作ったかのようだった。それを聞いたら彼が心機一転するかもしれない、などと吹聴《ふいちょう》していた。劇が始まっても二人はなお吹聴をやめなかった。クリストフは二人を黙らして、耳を澄《す》まして聴《き》いた。第一幕が済むと、彼はシルヴァン・コーンの方へ身を乗り出した。コーンは眼を輝かしながら彼に尋ねたのであった。
「おい、気むずかしや、どうだい?」
彼は言った。
「ずっとこんな調子なのか。」
「そうだ。」
「じゃあ、からっぽだね。」
コーンは反対して、彼を俗物だとした。
「まったくからっぽだ。」とクリストフは言いつづけた。「少しも音楽がない。発展がない。連絡がない。支離滅裂だ。ごく繊細な和声《ハーモニー》はある。ごく巧みなごくよい趣味の管弦楽から来る、小さな効果はある。しかしそんなのは、くだらないものだ、まったくくだらないものだ……。」
彼はまた聴き始めた。すると次第に、燈火が輝いてきた。薄ら明かりのうちに何かが見え始めた。そうだ、音楽の波の下に劇を沈めようとするワグナー派の理想に反対して、簡潔を旨とする意図がその中に含まってることを、彼はよく理解した。しかしながら、そういう犠牲的な意図は、もっていないものを犠牲にするというところから来るのではないかと、彼はやや皮肉に疑ってみた。苦心することの恐れ、疲れを最も少なくして効果を得んとする試み、ワグナー派の力強い構成に必要な激しい努力を無精《ぶしょう》のためにあきらめたやり方、などを彼は作の中に感じた。平坦《へいたん》で簡単で穏やかで微温的な朗詠法に、心ひかれないでもなかったが、しかしどうも単調なように思われ、ドイツ人の眼では真実のものだとは考えられなかった。――(彼が見て取ったところによれば、朗詠法が真実らしくなろうとすればするほど、いかにフランス語が音楽に不適当であるかをますます目立たせるのであった。あまりに論理的で、あまりに形が正しく、あまりに輪郭がはっきりしていて、それ自身で完全な一世界をなしてはいるが、しかしそれも密閉された世界なのであった。)――けれどもその試みは珍しいものであった。ク
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