てきた貴重な材料で作り上げた、あの混成建築物にも等しいほどのものが、音楽上にも得られるわけだった。しかしフランス人特有の良識は、そういう博学な野蛮さの病弊から彼らを救い出した。彼らはその理論を実際に適用することをよく差し控えた。医者にたいするモリエールの態度と同じ態度を、彼らはその理論にたいして取っていた。療法の指図《さしず》は受けていたが、それに従っていなかった。最もひどいのは、自分勝手の道を進んでいた。残余の者らは、実地においては、対位法のごく困難な込み入った練習をするだけで、みずから満足していた。そういう練習を彼らは、奏鳴曲《ソナタ》だの四重奏曲だの交響曲《シンフォニー》だのと名づけていた……。「奏鳴曲《ソナタ》よ、何を望むのか。」――しかし奏鳴曲はただ奏鳴曲たること以外には、まったく何も望んではいなかった。彼らの奏鳴曲の楽想は、抽象的で特徴がなく、苦心のみあって喜びのないものだった。それはまったく公証人的な芸術だった。クリストフは、フランス人らがブラームスを愛しないことを初め感謝していたが、もう今では、フランスには小ブラームスがたくさんいると考えていた。勤勉な誠実なそれらのりっぱな労働者らは皆、多くの美徳をもっていた。クリストフはたいへん教えられるところがあったが、またひどく退屈して、その仲間からのがれ出た。のがれ出てよかった、実によかった……。
戸外はなんといい気持だったろう!
それでも、パリーの音楽家中には、あらゆる流派を脱して独立してる者が、幾人かあった。クリストフが興味を覚えたのは、そういう人たちばかりだった。彼らのみが、一芸術の生活力の程度を知らせるのである。流派や学会などは、皮相な流行やこしらえられた理論だけをしか示さない。しかし自分だけ離れて立っている独立者らは、その時代と民族との真の思想を見出すの機会を、より多く有している。それゆえにまた、外国人にとっては、他の者らよりも彼らの方がいっそう理解しがたいのは、事実である。
クリストフがある名高い作を初めて聞いた時も、実際そのとおりであった。フランス人らはその作を法外にほめたてていた。最近十世紀間にその例を見ない音楽上の最大革命だと、公言してる者もあった。――(十世紀といっても、フランス人には世紀ということが大した意味をなしはしない。彼らは自国の世紀以外のことはあまり考えない。)
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