もしれなかった。ところがクリストフは、聖グレゴアールの子孫らがめったにその塔上にいないのを見て、すぐに安心を覚えた。彼らがそれに上るのは、ただ鐘を鳴らさんがためばかりであった。その他の時には、皆下の会堂に集まっていた。クリストフはその祭式に数回臨んでみて、彼らが旧教的信仰をもってることに気づいたのは、しばらくたってからであった。しかし始めの間彼は、彼らが新教のある小派の典礼に属してることだと、思い込んでいた。聴衆は跪拝《きはい》していた。弟子《でし》らは敬虔《けいけん》で、偏狭で、攻撃を好んでいた。その上に立ってる首領は、ごく純潔で、ごく冷静で、わがままで、多少子供らしい人物だったが、宗教的で道徳的で芸術的であるその教義の完全無欠さを力説し、選まれたる少数の人民らに、音楽の福音書を抽象的な言葉で説明し、驕慢《きょうまん》と異端とを平然としてののしっていた。そして右の二つに、芸術の罪過と人類の悪徳とを帰していた。文芸復興、宗教改革、および彼が同じ袋に入れて論じてる現代のユダヤ主義、ことごとくを帰していた。音楽上のユダヤ人らは、辱《はずか》しめの衣裳を着せられた後にその肖《すがた》を焼かれていた。巨人ヘンデルも笞刑《ちけい》を受けていた。ただヨハン・セバスチアン・バッハのみは、「誤って新教徒になった者」と上帝から認められ、その慈悲によって特赦を受けていた。
 サン・ジャック街の殿堂で布教が行なわれていた。魂と音楽とが救済されていた。天才の規則が組織的に教えられていた。勤勉な生徒らは、多くの苦心と絶対の確信とをもって、その方法を実地に適用していた。あたかも彼らはその敬虔な労苦によって、オーベル輩、アダム輩、および、かの偉大な罪人であり悪魔的な驢馬《ろば》であり、悪魔の権化《ごんげ》にして音楽上の悪魔[#「音楽上の悪魔」に傍点]なるベルリオーズ、そういう父祖の、軽薄さの罪を、償おうとでも思ってるかのようだった。そして讃むべき熱心と誠実なる信仰とをもって、すでに認められた大家にたいする崇拝を世に広めていた。約十年間のうちに偉大な事業が完成されていた。フランスの音楽はそれで一新されたのだ。音楽を学んだのは、ただに批評家ばかりではなく、音楽家自身もであった。今や作曲家も出て来たし、バッハの作品を知ってる名手まで出てきた。――ことに、フランス人の家居的な精神を打破するのに、大なる努
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