奏曲」に傍点]のごときものを作っていた。しかしはるかに困難なことだった。ごく明瞭《めいりょう》な一つの小さな楽句を頭に浮かべると、すぐに第二の楽句をその中間にはさもうとした。それはなんらの意味をも有しないものにせよ、ひどく第一のものと矛盾しがちだった。――しかもかかる憐《あわ》れな連中がいかにも冷静で円満な音楽家だと、一般に思われていた。
 そういう作品の演奏を指揮するためには、厳格で猛々《たけだけ》しい青年音楽長が、あたかもベートーヴェンやワグナーの軍隊をでも奮起させるかのように、ミケランジェロ風の身振りをしてあばれ喚《わめ》いていた。聴衆は社交界の人々と音楽家の卵とで成っていた。前者は、退屈でたまらながっていながら、光栄ある退屈を高価に購《あがな》うの名誉を、どうしても見捨てかねているのであった。後者は、専門家の乱麻をところどころ解いてゆきながら、覚えたての知識をみずから証明して喜んでいた。そしてこの聴衆は、楽長の身振りや音楽の喧騒《けんそう》と同じくらいに、熱狂的な感激の喝采《かっさい》を与えていた……。
「これあるかな!……」とクリストフは言った。
(彼はもうすっかりパリー児《こ》になりすましていた。)

 しかしパリーの俗語に通ずることよりも、パリーの音楽に通ずることはさらにむずかしかった。クリストフは何事にたいしても示す例の熱情と、フランス芸術を理解し得ないドイツ人の天性とをもって、判断をくだしていた。ただ彼は誠心をもってしていたし、誤ってることをもし指摘さるれば、それを認めるに躊躇《ちゅうちょ》しなかった。それゆえ、自分の判断に縛られてるとは少しもみずから思わなかった。そして自分の意見を一変させるかもしれないような新しい印象をも、うち開いた心で受け入れていた。
 そしてもう今では、彼はフランスの音楽の中に、多くの才能、興味ある素材、律動《リズム》と和声《ハーモニー》との珍しい発見物、光沢《こうたく》のある柔らかい精緻《せいち》な織物の配列、色彩の絢爛《けんらん》、発明力と機智との不断の傾注、などを認めざるを得なかった。クリストフはそれを愉快に感じ、それから得るところがあった。それらの群小音楽家たちは、ドイツの音楽家らよりも、精神の自由をはるかに多く有していた。彼らは敢然と大道から離れて、森の中に飛び込んでいた。道に迷うことを求めていた。しかし迷い得ない
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