んでゆくばかりだった。彼の敵たるこの小都市は、彼がおぼれるのをながめていた……。
 そして彼がもがいてる時、暗夜のさなかに一つの電光がひらめいて、ハスレルの面影が照らし出された。子供のおり彼があれほど愛した大音楽家であって、今やその栄誉はドイツ全土に光被していた。彼はハスレルが昔なしてくれた約束を思い出した。そして絶望的な力をこめてその残りの一事にすがりついた。ハスレルは彼を救ってくれるかもしれなかった。救ってくれるはずだった。彼が求めるのはなんであったか。助力でもなく、金銭でもなく、いかなる物質的援助でもなかった。何物でもなく、ただ理解してもらうことだけだった。ハスレルも彼と同様に迫害されたことがあった。ハスレルは自由の人であった。ドイツの凡庸《ぼんよう》さから恨み深く追求されて押しつぶされそうになってる一人の自由の人を、理解してくれるはずだった。二人は同一の戦いを戦ってるのだった。
 彼はその考えをいだくや否や、すぐに実行した。彼は母へ一週間不在になることを告げた。そして、ハスレルが音楽長の地位についてる北ドイツの大都会へ向かって、その晩汽車に乗った。待つことができなかったのである。それは呼吸せんがための最後の努力であった。

 ハスレルは有名になっていた。敵はなお武器を捨てていなかったが、しかし味方の者らは、彼こそ現在過去未来を通じての最大の音楽家だと唱えていた。彼は愚蒙《ぐもう》な追従者らにとりまかれ、また、同じく愚蒙な誹謗《ひぼう》者らにとりまかれていた。彼は強い性格でなかったから、誹謗者らのためにいらだちやすくなされ、味方のために柔惰になされていた。彼はありたけの気力を使って、非難者らを不快がらせ叫ばせようとした。彼は悪戯《いたずら》を事とする不良児に似ていた。そしてその悪戯も、最も厭味《いやみ》なものであることが多かった。彼はただに、正統派らを激怒せしむるような奇異な作曲に、その妙才を用いたばかりではなく、また、風変わりな歌詞にたいして、奇怪な主題にたいして、あるいはしばしば曖昧《あいまい》卑猥《ひわい》な情景にたいして、すなわち一言にしていえば、すべて普通の良識と謹直とを傷つけるようなものにたいして、意地悪い嗜好《しこう》を示していた。中流人士らが喚《わめ》くと彼は満足していた。そして中流人士らは欠かさず喚いていた。成り上がり者や王侯に見るような横柄《おうへい》な傲慢《ごうまん》さで、芸術にまで関与していた皇帝は、ハスレルの名声を世間の醜怪事と見なして、機会あるごとにはかならず、彼の厚顔な作品にたいして軽侮的な冷淡さを示していた。かかる公辺の反対は、ドイツ芸術の尖端派にとってはほとんど一つの世間的確認となるものだったが、ハスレルはそれを憤りまた愉快がって、ますます乱暴なやり方をつづけていた。新たに悪戯《いたずら》をすることに、味方の者らは歓喜して天才だと呼号していた。
 ハスレルの徒党は、廃頽派《はいたいは》の文学者や画家や批評家からおもに成り立っていた。彼らはたしかに、敬虔《けいけん》主義的精神と国家的道徳心との復興――北ドイツにおいては常に威嚇《いかく》的なものとなる復興――にたいする反抗派を代表するに足るのであった。しかし彼らの独立心は、闘争においては知らず知らずのうちに、滑稽《こっけい》なものとなるほど激昂《げっこう》していた。なぜなら、彼らの多くはかなり辛辣《しんらつ》な才能に欠けてはいなかったとしても、知力を有すること少なく、趣味を有することはさらに少なかったからである。彼らはみずからこしらえ出した人為的な雰囲気《ふんいき》から、もはや脱することができなかった。そしてあらゆる流派に見らるるとおり、ついに実人生の知覚をまったく失ってしまっていた。彼らの評論を読み、彼らが好んで宣言するものを鵜呑《うの》みにする、多くの愚人らにたいして、また自分自身にたいして、彼らは法則をたれていた。彼らの阿諛《あゆ》はハスレルに有害であって、彼をあまりに自惚《うぬぼれ》さしていた。彼は頭に浮かぶ楽想を、少しも検《しら》べないでことごとく取り上げた。そして自分の真価より劣ったものを書くことはあるかもしれないが、それでも他の音楽家のものより常に優《まさ》っていると、ひそかに信じていた。ところがこの考えは、不幸にも多くの場合あまりに真実だったけれど、そのために、きわめて健全な考えであって偉大な作品を生み出すに適したものである、ということにはならなかった。ハスレルは心の底に、敵味方を問わず万人にたいして、全然の蔑視《べっし》をいだいていた。そしてこの苦々《にがにが》しい嘲弄《ちょうろう》的な蔑視は、彼自身と全人生とにまで広がっていた。彼は高潔な無邪気な多くのことを昔信じていただけに、ますます深くその皮肉な懐疑主義の中に沈んでい
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