ことを良人にうち明けた。彼は眼に涙を浮かべて、自分もそうだとうち明けた。それをクリストフに言ったものだろうか? 彼らは言い出しかねた。けれども、彼に用心させるために知らせなければいけなかった。――ラインハルト夫人は、顔を赤らめながら一言切り出してみると、クリストフもまた手紙をもらってることを知ってびっくりした。悪意がかくまで熱烈なのに彼らは驚愕《きょうがく》した。もはやラインハルト夫人は、町じゅうの者に知れわたってることを疑わなかった。三人はたがいに力をつけ合うどころか、がっかりしてしまった。どうしていいかわからなかった。クリストフはそいつの頭を打ち割ってやると言った。――しかしだれの頭を? それにまた、そんなことをしたら中傷はなお盛んになるだろう。……警察に手紙のことを告げようか?――それは陰口を明るみにさらすこととなるだろう。……知らないふうをしていようか? もはやそれもできなかった。彼らの友誼《ゆうぎ》はもう攪乱《かくらん》されていた。ラインハルトは妻とクリストフとの公明さを絶対に信じていたが、それはなんの役にもたたなかった。二人を疑うまいとしてもできなかった。彼は自分の疑念の恥ずかしいばかばかしさを感じた。クリストフと妻とを二人きりになすようにつとめた。しかし彼は苦しんでいた。そして細君にはそれがよくわかった。
彼女の方はさらにいけなかった。クリストフが彼女に心を向けようと思わなかったごとく、彼女もかつてそんなことを思ったことはなかった。ところが中傷のために彼女は、クリストフがとにかく自分に恋愛的感情をいだいてるかもしれないという滑稽《こっけい》な考えを、いつのまにかいだくようになった。そして彼がそんな様子を露ほども示したことはなかったにかかわらず、彼女は一応断わっておく方がよいと思った。彼女は直接にあてつけはしないで、へまな用心深い仕方を用いた。クリストフは最初わからなかったが、ようやくそれとわかると、茫然《ぼうぜん》としてしまった。泣きだしたくなるほど馬鹿げていた。親切だが醜いありふれたこの中流婦人に、彼が恋するとは!……そして彼女がそう信じようとは!……そしてその良人《おっと》に彼は弁解することもできないとは!
「さあ、御安心なさい。危険はありません!……」ともまさか言えなかった。
否々、彼はそれらのいい人たちを侮辱することはできなかった。そのうえ、もし彼女が彼から愛されまいと用心するならば、それは彼女がひそかに彼を愛し始めたからであることを、彼は考え及んだ。無名の手紙はそういう愚かな空想的な考えを彼女に吹き込むほど、好結果をもたらしたのであった。
状況はきわめて困難になるとともに馬鹿げてきて、もうそのままつづくことができなくなった。そのうえまた、リーリ・ラインハルトは口先の大言にもかかわらず、なんら性格の強みをもっていなくて、小都市の暗黙な敵意の前に惑乱してしまった。彼ら夫妻は恥ずかしい口実を設けてもう会うまいとした。
――ラインハルト夫人は加減が悪かった……。ラインハルトは忙しかった……。二人は数日間不在だった……。
下手《へた》な嘘《うそ》ばかりだった。偶然が意地悪くも面白がって面皮をはいでくれるような嘘だった。
クリストフはもっと率直に言った。
「憐《あわ》れな友だちよ、私たちは別れましょう。私たちには力がないのです。」
ラインハルト夫妻は泣いた。――しかし絶交してしまうと、彼らはほっと安堵《あんど》した。
この小都市は勝利を得ることができた。こんどこそクリストフはただ一人となった。彼は最後の一息たる愛情までも奪われてしまった。――愛情、それがいかにちっぽけなものであろうとも、それなしにはだれの心も生きられるものではない。
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三 解放
彼にはもはや一人の味方もなかった。友は皆散り失《う》せてしまった。彼が困ってる時にはいつも助けに来てくれる、また彼が今や最も必要としている、あのなつかしいゴットフリートも、長い前にどこかへ行ってしまって、こんどはもう永久に帰って来なかった。この前の夏のある晩、遠い村の名がしるしてある太い字体の手紙が来て、ルイザに兄の死んだことを知らした。この小行商人は、健康が悪いにもかかわらず頑固《がんこ》に放浪の行商をつづけていて、旅先で死んだのである。彼は遠いその地の墓地に葬られた。かくて、クリストフを支持してやり得たかもしれない男らしい朗らかな最後の友情は、深淵《しんえん》の中に没してしまったのだった。彼は今や、年老いて彼の思想には無関心な母親――彼を愛してばかりいて理解してはいない母親と、ただ二人きりであった。彼の周囲は、広漠《こうばく》たるドイツの平野、陰鬱《いんうつ》なる大洋であった。それから出ようと努力することに、ますます深く沈
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