うにふりまいた。自著の教科書のことで関係があるライプチヒやベルリン書肆《しょし》へも、ある部数を送った。クリストフは少しも知らなかったが、かかる感心なまた拙劣なやり方は、少なくとも当座のうち、なんらの反響ももたらさなかった。方々へ送られた歌曲集は、なかなか的《まと》に達しないらしかった。だれもそれについてなんとも言わなかった。そしてラインハルト夫妻は、そういう無反響にがっかりして、自分たちの尽力をクリストフに隠しておいたことを喜んだ。なぜなら、彼がもしそのことを知ったら、発奮するよりもさらに多く悲嘆したろうから。――しかし実際においては、世間に毎度見られるとおり、何事も無駄《むだ》にはならない。いかなる努力も空には終わらない。数年間は結果が少しもわからない。ところがいつかは、意図の貫かれたことが現われてくる。クリストフの歌曲集[#「歌曲集」に傍点]も、田舎《いなか》に埋もれてる数人の善良な人々の心に、それと言ってよこすにはあまりに臆病《おくびょう》なあまりに倦怠《けんたい》してる人々の心に、徐々に達したのであった。
ただ一人、彼に手紙をよこした者があった。ラインハルトが書物を送ってから二、三か月後、一通の手紙がクリストフのもとに届いた。感動し儀式ばり心酔した古めかしい形式の手紙で、チューリンゲンという小さな町から来、「大学音楽会長[#「大学音楽会長」に傍点]、教授[#「教授」に傍点]、博士ペーテル・シュルツ[#「博士ペーテル・シュルツ」に傍点]」と署名してあった。
クリストフはそれをポケットに入れたまま二日も忘れていたが、ついにラインハルト家でそれを聞くと、彼はたいへん喜んだ。ラインハルト夫妻にとってはなおさらうれしかった。三人はいっしょにそれを読んだ。ラインハルトは細君と意味ありげな合図をかわしたが、クリストフは気づかなかった。クリストフは晴れやかな気持になってるらしかった。ところがにわかに、読んでる最中に彼の顔が曇りぴたりと読みやめたのを、ラインハルトは見て取った。
「え、なぜやめたんだい?」と彼は尋ねた。(二人はすでに隔てない言葉づきになっていた。)
クリストフは怒ってテーブルの上に手紙を投げ出した。
「いや、これはあんまりだ。」と彼は言った。
「何が?」
「読んでみたまえ。」
彼はテーブルに背中を向けて、片隅へ行って脹《ふく》れ顔をした。
ラインハルトは細君といっしょに読んだ、最も熱烈な賞賛の文句しか見出さなかった。
「わからない。」と彼は不思議に思って言った。
「君にはわからないのか、わからないのか……。」とクリストフは叫びながら、手紙を取り上げて、それを彼の眼の前につきつけた。「では君には読み取れないのか。これもやはりブラームス派だというのがわからないのか。」
その時ようやくラインハルトは、その大学音楽会長が手紙の一行中に、クリストフの歌曲をブラームスのそれと比較してることに気づいた……。クリストフは慨嘆した。
「一人の味方、ついに一人の味方を見出したのだ。……しかもそれを得たかと思うと、もう失ってしまったのだ!……」
彼はその比較に憤ってた。もしそのままに放っておいたら、彼はすぐに馬鹿な返事を出したかもしれない。もしくは、少し考えてみたら、まったくなんとも答えない方が賢くて雅量があると思ったであろう。が幸いにもラインハルト夫妻は、彼の不機嫌《ふきげん》を面白がりながらも、このうえ馬鹿な真似《まね》をしないようにさした。そして感謝の一言を書かせてしまった。しかし顔をしかめながら書かれたその一言は、冷淡なよそよそしいものであった。それでもペーテル・シェルツの心酔は揺がなかった。彼は情愛のあふれた手紙をなお二、三通よこした。クリストフは手紙が上手《じょうず》でなかった。その未知の友の文中に感ぜられる誠実の調子によって、多少心が和らぎはしたけれど、音信をやめてしまった。シュルツも沈黙してしまった。クリストフはもうそのことを考えなかった。
今では、彼は毎日ラインハルト夫妻に会い、また日に数回会うこともしばしばだった。たいてい晩はいっしょに過ごした。一人で考え込みながら一日を過ごすと、彼は口をききたい肉体的欲求を感じた。たとい理解されなくとも頭にあることを言い、理由のあるなしにかかわらず笑い、心のうちを吐露し、屈託を晴らしたかった。
彼は二人に音楽をきかしてやった。他に感謝の意を表する方法がなかったので、ピアノについて幾時間もひいてやった。ラインハルト夫人はまったく音楽を解せず、欠伸《あくび》をすまいと非常に骨折った。しかし彼女はクリストフに同情をもっていて、彼がひくものに興味を覚えてるらしいふうを装《よそお》った。良人《おっと》の方も、彼女以上に音楽を理解するとは言えなかったが、ある曲節には非精神的な感
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