彼は頑《がん》として読みつづけた。声を張り上げ、両腕を動かし、また息を切って笑った。すてきではないかと母に尋ねた。ルイザは彼に背中を向け、夜具の中にもぐり込み、耳をふさいで言っていた。
「私に構わないでおくれよ……。」
しかし彼女は、彼の笑いを聞いて低く笑っていた。ついに彼女は逆らうのをやめた。クリストフは一幕を読み終えて、面白いでしょうと尋ねたが返辞がなかったので、彼女の上にかがみ込んでのぞいてみると、彼女はもう眠っていた。それで彼は微笑をもらし、彼女の髪にそっと唇《くちびる》をつけて、音をたてずに自分の室へもどった。
彼はラインハルトの蔵書を引き出しに出かけた。あらゆる書物が順序もなく相次いで借り出された。クリストフはすべてを鵜呑《うの》みにした。彼はコリーヌとあの若い婦人との国を非常に愛したがっており、使いはたすべき多くの感激をもっていて、それを利用した。第二流の作品のうちにおいてさえ、あるページある言葉は一陣の自由な空気のように思われた。彼はそれをみずから誇張して考え、ことにラインハルト夫人に話す時はそうであった。すると夫人はいつもさらに夢中になった。彼女は何にもよくわかってはしなかったけれど、好んでフランス文化とドイツ文化とを対照させ、前者を揚げて後者をけなし、そしては良人《おっと》を怒らしたり、またこの小都市で受くる厭な事柄の腹癒《はらい》せをしていた。
ラインハルト氏は憤慨していた。彼は専門の学問以外のことにわたると、学校で教えられた観念から一歩も出ていなかった。彼に言わせると、フランス人は利口で、実際的の事柄に怜悧《れいり》で、愛嬌《あいきょう》があり、談話術を心得ているが、しかし軽薄で、短気で、自慢心強く、本気になることができず、強い感情をいだき得ず、なんらの誠実もない者ども――音楽もなく、哲学もなく、詩もない(作詩法[#「作詩法」に傍点]一冊とベランゼーとフランソア・コペーとを除いては)国民――感慨と大袈裟《おおげさ》な身振りと誇張した言葉と猥褻《わいせつ》書との国民であった。ラインハルトはラテン人種の不道徳を罵倒《ばとう》するに足るだけの、十分な言葉をもっていなかった。そしてよい言葉が見当たらないので、いつも軽佻[#「軽佻」に傍点]という言葉をくり返していた。それは彼の口に上ると、同国人の多くの者の口に上る時と同じく、特別にありがたくない意味を帯びるのであった。それから終わりにはきっと、高尚なるドイツ国民をほめ上げるきまり文句がやって来た――道徳的国民(この点においてドイツ国民は他のあらゆる国民より秀でている[#「この点においてドイツ国民は他のあらゆる国民より秀でている」に傍点]とヘルデルが言った)――忠実なる国民(この忠実[#「忠実」に傍点]とは、真面目、忠実、公平、正直《せいちょく》、などのあらゆる意味をもっていた)――フィヒテが言ったように、優秀なる国民――あらゆる正理と真理との象徴たる、ドイツの力――ドイツの思想――ドイツ魂《ゲムユート》――ドイツ民族それ自身と同じく、唯一の独特なる言葉であり純粋なまま保存されてる唯一の言葉である。ドイツ語――ドイツの婦人、ドイツの酒、ドイツの歌……「ドイツ[#「ドイツ」に傍点]、世界においてすべてより卓越せるドイツ[#「世界においてすべてより卓越せるドイツ」に傍点]!」
クリストフは抗弁した。ラインハルト夫人は叫び出した。三人とも声高く言い合った。しかしよく理解し合っていた。自分らは善良なドイツ人であることを、三人ともよく知っていた。
クリストフはしばしばやって来て、この新しい友人らとともに話をし食事をし散歩をした。リーリ・ラインハルトは彼をひいきにして、滋味ある御馳走《ごちそう》をふるまってやった。彼女は自分自身の健啖《けんたん》を満足させるために、かかる口実を見出したことを喜んでいた。彼女は感情上のまた料理上の種々な注意を凝らしていた。クリストフの誕生日には、大きな蒸し菓子をこしらえ、その上にたくさんの蝋燭《ろうそく》を立て、まん中にはギリシャ風の服装をした小さな砂糖人形をすえた。この人形はイフィゲニアを現わしたつもりで、花輪を一つもっていた。クリストフはドイツ人たることをきらいながら根本からドイツ人だったので、真の情愛を示すあまり上品でないそういう仕方にも、たいへん心を打たれた。
気質《きだて》のよいラインハルト夫妻は、自分らの積極的な友情を示すために、もっと微妙な方法を見出すことができた。楽譜をほとんど読んだことのないラインハルトは、細君に説き勧められて、クリストフの歌曲集[#「歌曲集」に傍点]を二十部ばかり買った。――(発行書店から買い出されたのはそれが最初のものだった。)――ラインハルトはそれを諸方の大学関係の知人に送って、ドイツじゅ
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