や》々ながら辛抱した。模範的によく時間を守った。しかし、頓馬《とんま》な生徒が二度も一つところを間違えたり、あるいは次の音楽会のために、無趣味な合唱を自分の級に教え込まなければならない場合には、自分の考えを隠す術《すべ》がなかった。(彼は曲目を選ぶことさえ任せられなかった。彼の趣味は疑われていた。)彼はあまり熱心には教えていないと思われていた。けれども彼は、黙って脹《ふく》れ顔をしながら意地を張っていて、生徒をびっくりさせるほどテーブルの上を打ちたたくだけで、内心の憤りを押えていた。しかし時とすると、あまりに苦々《にがにが》しいことがあった。彼はもう辛抱できなかった。楽曲の最中に彼は歌をやめさした。
「ああ、それはよすがいい、よすがいい。いっそワグナーを僕がひいてやろう。」
生徒らは望むところだった。彼らは彼の後ろでカルタを弄《もてあそ》んだ。するといつも、それを校長に言いつける生徒があった。そしてクリストフは、彼が学校に出てるのは生徒らに音楽を好ませるためにではなく、彼らに音楽を歌わせるためにであることを、言い聞かせられた。彼は震えながら譴責《けんせき》を受けた。しかしそれを甘受していた。喧嘩をしたくなかったのである。――彼がなんらかの価値あるものになり始めると、かかる屈辱を受ける破目に陥るだろうということを、数年以前、彼の前途が輝かしく有望であることを示していた時(その時彼は何にもしてはいなかったが)、その時に、だれが想像し得たであろうか。
学校における職務上、彼は自尊心を傷つけられる苦しみを多く嘗《な》めたが、そのうちで、義務的に同僚を訪問することも、彼にとってはやはりつらい仕事だった。彼はでたらめに二人を訪問してみた。そして非常に厭になって、訪問をつづけるだけの勇気が出なかった。とくに訪問を受けた二人は、別にありがたいとも思わなかったが、他の人々は、個人的に侮辱されたと考えた。皆の者はクリストフを、地位から言っても能力から言っても自分の目下に見ていた。そして彼にたいして保護者的な態度を取っていた。そして彼にたいする意見と自分自身とにいかにも確信ある様子をしていたので、彼にもその考えが感染してきた。彼は彼らのそばにいると自分が馬鹿になったような気がした。彼らに言ってやるべきことは何にも見当たらなかったではないか。彼らはおのれの職務でいっぱいになっていて、それ以外のことは何にも見ていなかった。彼らは人間ではなかった。せめて書物ならまだよかった。しかし彼らは書物の注解であり、言葉の注釈者だった。
クリストフは彼らといっしょになる機会を避けた。しかし時々それをのがれることができなかった。校長は月に一回午後に訪問を受けていた。そして仲間全部が集まることを望んでいた。クリストフは、欠席してもわかるまいといい加減に考えて、断わりもしないでひそかに最初の招待に欠けたが、翌日になると、厭味な小言を食わされた。次回には、母からしかられて、行くことに心をきめた。そして葬式にでも行くように渋々出かけた。
はいって行くと、自分の学校や町の他の学校の教師たちが、細君や娘を連れて集まっていた。彼らは狭すぎる客間に押し込まれて、階級ごとに一群をなしていたが、彼にはなんらの注意をも払わなかった。彼のそばにいる一団は、児童教育や料理のことを話していた。教師の細君たちは皆、多少の料理法を心得ていて、頑強《がんきょう》に学者ぶってしゃべりたてていた。男たちの方もその問題には同じく趣味を覚えていて、ほとんど劣らないくらいの脳力を示していた。また彼らは自分の細君の家政的手腕を誇り、細君らは自分の良人《おっと》の知識を誇っていた。クリストフは、窓ぎわの壁によりかかってたたずみ、どういう様子をしていいかわからず、あるいはぼんやり笑顔をしようとつとめたり、あるいは眼をすえ顔を引きしめて陰鬱《いんうつ》になったりしながら、退屈でたまらなかった。数歩向こうに一人の若い女が窓口に腰掛けて、だれからも話しかけられず、彼と同様に退屈しきっていた。二人とも広間の中をながめていて、たがいに認めなかった。しばらくたってから、どちらもたまらなくなって欠伸《あくび》をしようと向き返った時に、初めて気づいた。ちょうどその時、二人の眼は出会った。二人は親しい目配せをし合った。彼は彼女の方へ一歩近寄った。彼女は小声で彼に言った。
「面白うございますか。」
彼は広間の方へ背中を向け、窓を見ながら、舌を出してみせた。彼女は放笑《ふきだ》した。そしてすぐに気がついて、そばに腰をおろすようにと合図をした。二人は近づきになった。彼女は学校で博物の講義を受け持ってるラインハルト教師の細君だった。夫妻はこの町に最近来たばかりで、まだだれも知り合いがなかった。彼女はとうてい美しいとは言えなかった。鼻
前へ
次へ
全132ページ中74ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ロラン ロマン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング