なぎらしてる異教的悦楽の情に、身震いをしたことであろう。
ついに出版はなされた。もとより常識を逸した出版だった。クリストフが歌曲[#「歌曲」に傍点]の自費出版をさせその書物を預けた本屋は、ただ隣人だというので彼から選まれたのだった。そういう大事な仕事には手はずが整っていなかった。印刷は数か月もかかった。誤植が多く、校正にも費用がかかった。クリストフはまったく不案内だったから、すべてに三分の一ほども余計に金を取られた。入費ははるかに予想を超過した。次にそれが済むと、クリストフはおびただしい部数を腕にかかえて、どうしていいかわからなかった。その本屋には得意がなかった。書物を広めるための策を少しも講じなかった。その無頓着《むとんじゃく》はまたクリストフの態度とよく合っていた。気が済むように広告でも二、三行書いてくれと彼が頼むと、クリストフは答えた。「広告はいやだ。音楽さえよければ、それで広告になるはずだ。」本屋はクリストフの意志を恭々《うやうや》しく尊重した。そして店の奥に書物をしまい込んだ。それはりっぱに保存されていた。というのは、半年のうちに一冊も売れなかったから。
クリストフは、公衆の方からやって来るのを待ちながら、自分のわずかな財産に明けた穴を埋めるために、何かの方法を講じなければならなかった。そして気むずかしいことを言ってはおれなかった。生活をするとともに負債を払わなければならなかったから。ただに負債が予想以上に大きかったばかりでなく、当てにしていた貯蓄が予算以上に少ないことがわかった。知らず知らずのうちに金を使ったのか、もしくは――この方がずっとほんとうらしかったが――計算を間違えたのであったろうか?(かつて彼は正確な加算をすることができなかった。)がとにかく、金の不足した理由はどうでもよい。金が足りない、そのことだけは確かだった。ルイザは息子《むすこ》を助けるために血の汗をしぼらなければならなかった。彼は痛切な苛責《かしゃく》を感じて、どんなことをしてもできるだけ早く負債を済まそうとした。彼は稽古《けいこ》の口を捜し始めた。申し込んでは往々断わられるのは、いかにもつらいことではあった。彼の評判は地に落ちていた。数人の弟子《でし》を見つけるにもたいへん骨が折れた。それで、ある学校に就職口があることを聞くと、大喜びでそれを引き受けた。
それは半宗教的な学校であった。校長は機敏な人で、音楽家ではなかったが、クリストフの現状をもってしては、ごく安い金で役だたせることができると見抜いたのだった。彼は愛想はよかったが金払いはけちだった。クリストフがおずおず異議をもち出すと、校長は親切そうな微笑を浮かべて、クリストフにはもはや公の肩書がないから、これ以上を要求することはできないものだと言い聞かした。
なさけない仕事だった。生徒らに音楽を教えることよりもむしろ、彼ら自身や両親に彼らが音楽を知ってるとの空想をいだかせることだった。最も大事な事柄は、一般公衆の列席が許される儀式のために、彼らを歌えるように仕込むことだった。方法などはどうでもよかった。クリストフは厭《いや》になってしまった。職務を尽くしながら、有益な仕事をしてると考える慰謝さえも得られなかった。本心では偽善として自責の念を覚えた。彼は子供らにもっと確実な教育を授け、彼らに真面目《まじめ》な音楽を知らせ愛させようと試みた。しかし生徒らはそんなことを気にもかけなかった。クリストフは自分の考えをよく聞かせることができなかった。彼には権威が欠けていた。そして実際、彼は子供らを教育するような性格ではなかった。彼らが渋滞するのに同情を寄せなかった。ただちに音楽の理論を説明してやろうとした。ピアノの稽古《けいこ》を授ける時には、ベートーヴェンの交響曲《シンフォニー》を生徒に課して、それを生徒といっしょに連弾した。もとよりそんなことがやれるはずはなかった。彼は腹をたてて、生徒をピアノから追いのけ、その代わりに一人で長々とひいた。――学校以外の個人の弟子にたいしても、同様であった。彼には少しの我慢もなかった。たとえば、貴族たることを自負しているかわいい令嬢に向かって、女中のようなひき方をすると言ったり、あるいはまた、母親へ手紙を書いて、もう教えるのはごめんだと言い、こういう無能な者にこのうえ関《かかわ》り合っていなければならないとしたら、寿命が縮まるばかりだと言った。――そんなふうなのでうまくゆかなかった。わずかな弟子も離れていった。一人の弟子を二か月以上も引き止めることはできなかった。母は彼に意見を加えた。就職した学校とだけはせめて喧嘩《けんか》をしないと、彼に約束さした。なぜなら、もしその地位を失うようなことがあったら、もはや生活の道がわからなくなるからだった。それで彼は厭《い
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